20210204_人間機械論って?

… 現実的には(あるべき論は別にして)「医療機関で働く」こと自体が「人間機械論」的に(つまり、自分を「機械」のよう訓練にして、ひとを「機械」のように組織して)働くということなのか、本当にそうか、それで良いのか、というのが今日のコラムのテーマです。

 

0.そもそも「人間機械論」の「近代的」意味は…

 

 …18世紀に開花したフランス唯物論のもっとも尖鋭な代表者といわれる医師ラ・メトリ(1709~1751)の主著。主として生理学の力をかり、人間の精神が脳という物質の働きにほかならぬことを論証したもの。発表されるや宗教界に激しい憎悪の嵐をまきおこし、各宗派は「一人の哲学者を迫害するために力をあわせて狂奔した」という…(岩波文庫「人間機械論・書籍紹介」からの引用)

 

 つまり、既に2~3世紀以上も前の、「中世から近代へ」の、歴史的転換点にある思想だと、筆者は「限定的に」理解していました。つまり、それこそが「近代的・科学的・合理的

」ではありえても限定的・功利的であり、決して全体的・人間的ではありえない…と。

 

 また、現代社会で働く人たちにとってそれ(機械的・合理的・科学的・限定的な人間観)

およびそれに依拠する「人と組織」に対する「マネジメント」の思想や方法こそが近代以降の未だ克服されずにいる「人間疎外」の根源だとさえ思っていたのですが…。

 

1.医療現場に限らず、働く人たちの現実は…?

 

 しかし現実の、たとえば新型コロナの「禍中(渦中)」で働く人たちにとって、働くということの現実自体が、実は「人間機械論的」働き方どころか、ともすれば肉体的精神的安全さえ損ないかねない「機械にも満たない非人間的環境条件」下での労働だとしたら…

 

2.誰ひとり「それで良い」とは思わない…

 

 だとしたら「人間的社会的労働」はもはや「妄想」でしかない、医療従事者の「役割意識」に依存することはもはや「搾取」どころか「強迫」でしかあり得ない、と考えるのは

極端でしょうか?

 

3.今置かれている足元の「状況」をふまえ、それを克服し、その先へ…

 

 医療現場のみならず、現に今働く人たちが置かれている足元の「状況(その最低限の肉体的精神的安全さえ損ないかねない諸事実)」をこそ、それこそ、機械的・合理的・科学的・経済的な思考や方法や技術を駆使し尽くしてでも先ず最初に「克服」すべきでしょう。

 

 そうでないかぎりいくら「高邁」な「一般的抽象的あるべき論」も、むしろ「害悪」以外の(「搾取」や「強迫」を正当化するだけの、「悪魔の道具」以外の)何ものでもない、と断じてしまうのは、悲観にすぎるでしょうか?(少なくとも自己謙抑しようと思います。)

 

<追記事項:ある「往復書簡(交換メール)より>

 

… 私も一時期「人間機械論的組織観」や「人間道具論的管理観」や「人を管理するより仕事を管理する」みたいな観念にとらわれた時期があるのですが、今はもちろん「卒業」した…つもりになっていました。

 

… そんないたときに先日のF先生の「人間機械論」は衝撃でした。あれほど人間的なス

ポーツマンシップとリーダーシップを発揮されているにちがいない先生の口から「人間機械論」が、必ずしも「そうであってはならない」というニュアンスでなく出てくるとは…。

 

… コロナ下(禍・渦)の医療現場で働く人たちの「現実感」が「機械のような働き方を強いられている」ものだとしたら、それをこそ何とかしないと、たぶん、労務管理論も私自身の存在意義も、まるで無いものと思わざるを得ません。

 

… 経営資源を「人・モノ・カネ・情報・時間」だなどと言いますが、「人」は全く、他の経営資源とは異次元の別ものだと私は確信します。「人事労務マネジメントの核心は?」と

問われたら「人間らしいあり方や働き方」がその「核心」だと答えようと思います。

 

<追記事項_同上>

 

… 話は拡散しますが、人間社会の進化の歴史は、「人間の善なるもの(初期マルクスが

言う「人間の天性」」の解放(実現、もしくはその時代のその担い手による闘争)の歴史

であったと、私は思います。

 

… それはあまりにも犠牲の多い歴史ではありましたが、「労働の解放(人間を労働そのものから解放するのでなく、機械や装置としての、手段や服従としての労働、非人間的な労働からの解放、言い換えれば労働の人間化)」こそその中核だと思います。

 

… コロナの蔓延で看護師志望者が増え、医師志望者が減ったというマスコミ報道を先日耳にしましたが、私にはある意味「わかる」ような気がします。現役の看護師さんたちが良く使う「ケア」という言葉に込めているに違いない「人間性」を私はそこに信じます。

 

… またある院長先生のおっしゃる「ハードな(難しいという意味でなく、生か死かというのっぴきならない)職業観、役割観、使命感」にも敬服です。別の医師が言っておられる

「チーム医療」において両者が相互の高みにおいて融合することを願います。

 

… 人間は根源的に「善きもの(人間としてイチバン大切なこと)」に導かれている。なぜか人間はそれを知っており、備えている。それが「生命」だから、なのかも知れません。目

には見えないがときどき垣間見える、言葉や行動にしている人に出会うこともできる…。

 

… 「結局はコミュニケーションですね、なんていう浪花節には脱したくない…」と先日、

ある若い知人が言ったので、思わず絶句してしまいましたが、「結局はコミュニケーショ

ンだということ以外に何が言えるんろう?」とは未だ聞き返せずにいます。

 

… 人間としての根源的な「善きもの(人間としてイチバン大切なこと)」その人を根源から突き動かしているものとの出会いは、コミュニケ―ションを通じて以外には無い、と今のところ私は考えています。