20200814_個人と企業の最適関係

 

1.「個人と組織の最適関係」というテーマ

 

 

 「個人と組織」の「組織」という言葉は、筆者が長い間「職業」としてきた「企業の人事労務管理」に即して言えば「企業」という言葉に置き換えても構いませんし、「社会」という言葉や、「国家」という言葉に置き換えても構いません。

 

 つまり、それを「企業」という言葉に置き換えるなら「人事労務管理」のテーマになるでしょうし、「社会」という言葉に置き換えるなら「社会科学」、「国家」という言葉に置き換えるなら「政治学」のテーマになるでしょう。

 

2.「組織」と言ってもそこに「組織」という実体が存在するわけではなく…

 

 さて「組織」や「企業」や「社会」や「国家」などと言っても、そこに実体として常に存在するのは「人間諸個人」であって、「組織」や「企業」や「社会」や「国家」そのものが実体として存在するわけではありません。

 

 あえて言えば「人間諸個人が相互に組織的に関係し合う」状態を「組織」と言っているにすぎないのであって、「個人と組織の最適関係」と言ってもそれは結局「個人と個人の最適関係」のひとつを言っているにすぎません。

 

3.「組織」は「個人」を迫害さえする。

 

 ではなぜ人間諸個人は「相互に組織的に関係し合う」のかと言えば、人間諸個人どうしが、人間的で社会的な諸目的や諸価値を組織(社会)協働的に達成したり実現したりするためにそうするのであるはずです。

 

 つまり「人間のために組織がある」であって「組織のために人間がいる」わけではありません。ところが我々自身の歴史や経験に照らせばむしろその逆で、「組織が個人を迫害する」ことさえその事例には事欠きません。

 

4.企業という組織における諸個人の「従属関係」

 

 さて現代社会で我々自身が「働く(労働する)」ということは、「企業に属して働く」ことが一般的であり、「労務(指揮命令)に服して(そのことの対価として)賃金を得る」ことが一般的す。

 

 ドラッカーが言うように「企業」とは、そもそも「人間的・社会的な諸目的を達成し、諸価値を実現するための、人間諸個人の組織的協働体」であるはずのところが、実態は上記のような「従属関係」であることのほうが一般的です。

 

 筆者は職業がら、数々の人事労務上の現実的な諸問題に直面してきましたが、それらの問題の多くは、企業における人間諸個人の関係が、現実にはドラッカーの言うような「協働関係」にはなっていないというところに根幹があるように思います。 

 

5.「働く」ことを通じてこそ…

 

① 働くことを通じて価値を実現する。

 

 「利益を得る」ことや「賃金を得る」こと自体が「働く」ことの目的ではないはずです。また、「全てを金銭で評価する」というのは、人間社会の長い歴史の中の、近代資本主義というひとつの時代の、ひとつの思想でしかありません。

 

 たとえば「自由」「平和」「幸福」という人間的で社会的な目的を達成し、価値を実現しようとして働いている人たちがたくさんいます。「労務(指揮命令)に服して」「賃金を得る」ことが「働く(労働する)」ことの全てであるはずがありません。

 

② 働くことを通じて協力する。(協働する)

 

 複数人でチームを組んで働く場合に、そのチームが発揮するパワーの総量は、必ずしもひとりひとりのパワーの総和にはなりません。「チームワーク」とはむしろ、「チームによるひとりひとりのパワーの相殺効果を最小限にすること」なのかも知れません。

 

 また、メンバーひとりひとりのパスを適確につなげてゴールに達するサッカーゲームのように、あるメンバーのアウトプットが他のメンバーの最適なインプットになるように仕事をし合うことが「協働する」ということなのでしょう。

 

 そのようにして働く(協働する)ことを通じてこそ、個々のメンバーは成長するし、チームの総力は向上するのでしょう。そこにあるのは決して「支配」でも「従属」でもないはずです。

 

③ 働くことを通じて成長する。

 

 筆者のかつてのある部下は「自分自身の最大の動機付けは、仕事を通じて自分自身が成長するということです。」と言い、別の部下は「単に仕事が出来るようになるというだけでなく、仕事を通じて人間的に成長出来るようになりたい」と言いました。

 

 上記の言葉ほど、「働く」ことの本質的意味を言い表した言葉は無いと思います。「労務(指揮命令)に服して賃金を得る」という近代的で、いまだなお一般的な「働き方」を強いられる中においてさえ、当の「働く人たち」は既にその本質的意味を知っているのです。