20201101_全ては肯定に値する

 

1.「解」は既に誰もが知っている。

 

 例えば人事という仕事は、働く人たちに関する実務・実学ですが、例えば人事評価は、それを貫くべきポリシーは「フェアである」ことだと筆者は思います。(科学的に「正しい」かどうかよりもむしろ人間的に「フェアである」かどうかです。)

  

 そして、何が「フェアである」かは、いわゆる「人事の専門家」などではなく、自分自身や、働く人たち自身の心のうちに問いかけて見れば分かる、自分自身や働く人たち自身が既に、何が自分たちの人間性にかなうものであるかを知っているはずです。

 

 「フェア」というのは、必ずしも、科学的な「正しさ」でもなく、法律的な「合理性」でもない、手続上の「適正さ」だけでもない。もっと現実の問題を解決する上での、働く人たち自身が既に知っている、「人間的」で「現実的」なものだと思います。

 

2.全ては肯定に値する。

  

 そして、上記の前提で、筆者は、「よほど人間性に反することでなければ…」という前提付きであるとしても、人間の営み(感じ、思い、行うこと)の、ほとんど全ては「肯定に値する」と筆者は思うのです。

 

 それはむしろ「否定には謙虚かつ慎重でなければならない」と言い換えるほうが良いかも知れません。たとえ戦争や迫害や犯罪であっても…それがわれわれ人間自身の行いであることに鑑みれば…筆者には単なる「否定」だけでは何も解決しないように思えてなりません。

 

 「正しいこと(真理や正義)は必ずしもただひとつではない」とさえ筆者は思います。現に、どんな「独裁者」でも、歴史上の一定段階では、多くの国民自身が彼らの言動を「正しいもの(当為)」として受け入れたばかりではないか…。

 

3.「否定しない」でどこまでできるかやってみようと思う。

 

 末川博先生という昔日の高名な法学者に「戦争に(原爆に)正義も不義も無い。有無を言わさず否定すべきだ。」という趣旨の言葉があったように思います。運動論・政治論としては「その通り」だろうとおもいます。

 

 筆者のように「全ては肯定に値する」などとうそぶいていては、あっというまに権力の波に飲み込まれてしまうでしょう。「人間の天性」に反することに肯定の余地を残しては決してならず、何が「人間の天性」なのかは自分自身が知っているはずだと…

 

 その意味で、自らが知る「人間の天性」に反するものでない限りにおいて(それが「人間に天性」に反することに気付くことに後れを取らない限りにおいて)どこまで「否定しない」でやれるか、やれるところまでやってみようと、筆者は思います。

 

4.但し、オオカミ(嘘や悪)はヒツジ(真や善)の皮を着て現れる。

 

 新型コロナ禍への対応の政策のひとつとしての「小学校の一斉休校」の首相発表には反論異論が多かったそうですが、少なくとも当時は「子どもたちのいのちを守る(そのための首相の英断)」という、今となっては「美名または虚飾」が暴かれないままでした。

 

 「子どもたちのいのちを守る」ことは誰ひとり「否定」しえない価値であるがゆえに、そうした衣の下に隠れた「なりふり構わない政権維持のための強欲ぶり」を指摘する声はかき消されたようでした。

 

 「虚偽がもっともらしいのは、そこにかならずひとつ以上の真実が含まれているから。」だと思います。「全ては肯定に値する」などと脳天気なことを言っている間に、もっともらしい真実の衣の下に隠された虚偽や悪徳を見失わないようにしましょう。

 

…全ては疑うに値する、のと同じように、全ては肯定に値する。 

 

…身構えを低くすれば、ほぼ全てに学び、ほほ全てを活かすことができる。