20201121_根元・足元から見直し、考え直す

1.根元(ねもと)・足元(あしもと)から見直し、考え直すこと

 

①例えば「新型コロナ禍」への対応について

 

 「新型コロナ禍」で問われていることのひとつは医療機関の経営や運営の在り方(根元と足元)だと思います。

 

・例えば「院内感染の防止」が根元・足元から「習慣化」されていたか?

・例えば「職員のモラールとモチベーション」が根元・足元から「大切に」されてきたか?

・例えば「プロフィットとコスト」が「指標化」根元・足元から「指標化」されてきたか?

 

②例えば「働き方改革」の根元と足元

 

 たしかに例えば「時間外勤務の上限規制(働き過ぎ改革)」や「年次有給休暇の取得促進(休み方改革)」も「働き方改革」のひとつかも知れません。(もっと露骨にに言えば「楽な仕事で給料が高い」のが「働き方改革」なのかも知れません!?)

 

 しかしそもそも「働くということ」の意味や実態を、自らの根元と足元から見直してみてはどうでしょうか?

 

 それは「生きるにかつがつ」の、つまり「生存の欲求」をかろうじて満たすか満たさないかの水準の「働き方」に、なっていないでしょうか。せめて「安心・安全」レベルの「働き方」になっていますか。「親和」と「自尊」を損なわない「働き方」になっていますか?

 

 いわゆる「ワーキング・プア」の「働き方」をしている人たちの割合は、それが話題になった時期から統計的に見てかえって増えているのではないでしょうか?(コロナ禍に伴う雇止めの増加が危惧されます。)

 

③例えば「リーダーシップ」や「マネジメント」の根元と足元

  

 それらはいずれも「人を通して仕事をすること」であり、「判断と選択」を行い「指し示す」こと、それに向けて人を「動機付ける」ことでありその「成長を促進する」ことだと、筆者は思うのですがいかがでしょうか?

 

 そもそもその根元と足元には、「人」および「組織」に対する理解や配慮や洞察や敬意や畏れや謙抑や…感じ、思い、悩み、行い、省み…が有るべきだと思うのですがいかがでしょうか?

 

 そもそもその根元と足元には、肯定的・受容的・積極的・共感的・対話的な傾聴を基本とするコミュニケーションとそれに基づく信頼関係がなければならいはずだと思うのですがいかがでしょうか?

 

<コミュニケーションの根元と足元>

 

… コミュニケーションの「教科書的技法」に拠るまでもなく、例えば次のような事項は多くの方の経験則でしょう…。「リーダーシップ」だの「マネジメント」だのと言う前に、先ず自分と相手の「コミュニケーション・リテラシー」を振り返ってみるべきです。

 

・先ず「聴く」こと

・「肯定的に受容(否定しない、遮らない)」すること

・「積極的に傾聴(相槌、健全な関心と適切な質問)」すること

・「共感的」に聴くこと、「対話的」に聴くこと

・「話す」ことより「伝える」こと

・コミュニケーションの「促進要素」を多く、「阻害要素」を少なく

・クイックレポンス(ただし、否定・非難・批判せず)

・ノーレスポンスは厳禁(ただし、「解決に結びつかない愚痴は受け流す」ことも必要。)

・答えは相手の口から引き出すこと(自分が言いたいことが相手の口から出てくるように)

・・・

 

<信頼関係の根元と足元>

 

… これも同じです。「信頼関係」

 

・相手の「期待(~してほしい)」に応え続けること

・共感する、支援する、協働すること

・否定せず、批判せず、干渉しないこと

・リスペクトすること(重きを置き、多とすること)

・「小信忽せにせず」(小さな約束を守ること、いいかげんにしないこと)

・想像と配慮と協調

・判断し、指し示し、動機付けること

・・・

 

2.ものごとには全て「相反する両面性」があるということ

 

①「二要素三区分」の視点

 

 光と影、陰と陽、正と負、真と偽、… それらが別々にあったり、外にあったりするのではなく、ほとんどものごとには、それらが一緒に、内在し・内包されているのだと、筆者は思います。

 

 そしてそれら相反する二要素の主と従、強と弱の組み合わせによって、ものごとの状態は少なくとも三つの状態(A>B,A≒B,A<B)に分かれて現れるのだと思います。人や組織や社会においても実は同じです。

 

②「正しい」ことが「良い結果」を招くとは限らない。

 

 そもそも「正しい」と言われる認識が、「合理的な疑いを差し挟まない」程度に「正しい」かどうかは文字通り「合理的な疑い」を差し挟んでみる必要があり、時機や場合や相手や関係にかかわらず「正しい」かどうかは置き換えて考えてみる必要があります。

 

 また、「正しいこと」が必ずも常に、誰にとっても「良いこと」や「善いこと」であるとは限りません。例えば「パワハラ」を行っている本人は、少なくともそれを行っている間は、それを「正しい」ことだと思っているのかも知れません。

 

③「自助・共助・公助」は「正しい」か?

 

 では例えば一国の総理がいう「自助・共助・公助」というひとつの「考え」や「方針」が、正しいかどうかについては、「誰が誰に」また「どういう状況」で言うかによって「正しく」もあり「正しく」もないはずです。

 

 経済成長が低迷し、国の財政が破綻し、福祉が切捨てられる中で、一国の総理が、ますます困窮するワーキングプア層に向けていうべき言葉ではない、とだけは合理的な疑いを差し挟まない程度には「正しい」と思います。