20151129_~的に生きるか、~的に生きるか…

 

1.自分の生き方と国家の平和が結びつかない・・・

 

 集団的自衛権の限定行使が合憲であることを前提とした安全保障関連諸法案が参議院で審議中(平成27年8月現在)であり、新聞紙上でも国会周辺でも、今さらながらに非戦平和を叫ぶ声が高まりを見せているようです。

 

 筆者自身も関連法案は違憲であるという意見に賛成ですが、では現実にわが国が集団的自衛権を行使せずに自国の安全と平和を維持できるような国のあり方を選んで来たのか、自分自身がそういう生き方をして来たのかと問われれば自信がありません。

 

 今までの国のあり方も自分の生き方も、例えば「いかなる紛争も武力によっては解決しない」という憲法の理念通りのものであったかと問われればいささか自信を欠き声高に「違憲立法反対」を叫ぶ力が、自分自身の現実からなかなか出てきません。

 

2.自分の生き方と社会や国のあり方は実はつながっている

 

 自分自身の生き方と、国のあり方は、実はどこかでつながっているはずです。例えば自分自身が「争わず、戦わない」人の生き方を貫いているなら、それがどこかで「争わず、戦わない」国のあり方につながるはずです。

 

 「一人では何も変わらない」かも知れませんが、「一人ひとりが変わらなければ何も変わらない」のです。多くの人は自分自身が変わることより、自分以外の誰かが変えてくれるのを待ち、従うことを選択してしまうものなのでしょうか。

  

 国の現在、自分自身の現在も、今までの日々時々のぼう大な選択の結果であろうと思います。「~でありたい」という念願が叶うかどうかは、日々時々の現実を「~的に生き、そういう選択をするかどうか」にかかっていると思います。

 

<追記事項>「~的に生きるか、~的に生きるか」

 

 ・ 闘争的に生きるか、友好的に生きるか。

 ・ 感情的に生きるか、理性的に生きるか。

 ・ 肯定的に考えるか、否定的に考えるか。

 ・ 楽観的に生きるか、悲観的に生きるか。

 ・ 規律的に生きるか、放恣的に生きるか。

 ・ 率先的に生きるか、追随的に生きるか。

 ・・・

 

 「~的に生きるか」は案外単純な二者択一ではあるけれど、日々時々の二者択一のぼう大な積み重ねが、実は一人ひとりの現在と将来のあり方を決定し、それが組織や社会、国家や世界の現在と将来のあり方を決定するのだと思います。 

 

3.組織や社会が変わるということは・・・

 

 組織や社会を構成するのは結局のところ「人間諸個人」でしかないので、「一人ひとり」の発想や行動や習慣が変わる以外には組織や社会は変わりようがなく、分析的に見れば個々の場面の二者択一の膨大な積み重ねの結果が組織や社会の様相なのでしょう。

 

 「社会を変えるとはどういうことか?」という設問を一度、新人の採用試験に課してみようと思うのですが、少々「無理」でしょうか。小学生たちのほうがむしろ「一人ひとりが変わらなければ社会は変わらない」と答えてくれるかも知れません。

 

 「一人ひとりが何をどう変えれば社会がどう変わるのか?」というのが筆者の問いです。「人はあらゆる場面で~的に生きるか、~的に生きるかの二者択一を常に行っており、多くの人が~的に選択すれば社会が~的になる」というのが解答例ですが。。。