20151208_只だ弁論の科におくべし

 

1.只だ弁論の科におくべし

 

 終戦の勅語を添削し、歴代の首相が教えを乞うた学者として知られる安岡正篤氏が、その著書の中で、中国の明時代の儒学者である呂新吾の、人間の資質に関する次のような言葉を紹介しています。

 

 深沈厚重なるは、これ第一等の資質

 磊落豪雄なるは、これ第二等の資質

 聡明才弁なるは、これ第三等の資質

 

 「才」とは「才能」の「才」ですが、「才(わず)か」と訓みます。企業の実務でも、前職での才かな経験を振り回す「出羽の守(ではのかみ)」や、現場を知らず、実践も伴わず、机上の空論を弄する評論家のような言動は「只だ弁論の科におくべき者」として軽んじられます。

 

2.平和のときに平和を言う

 

  「戦争の時は戦争を唱え、平和の時は平和を唱える」という、時流への迎合を揶揄する言葉があります。「スターリンの時はスターリンを称え、スターリン批判の時はスターリンを批判する」のと同じです。

 

 おそらく多くの人々が何らかの迎合や適応を選ばずには、その時代での自分や家族の生活を維持することができなかったでしょう。時々の時流の本質を「人間の天性=ヒューマニズム」の原点から見極めていたいと思います。

 

<追記事項>企業に評論家は要らない。

 

 企業は、何らかの目的を達成し、価値を実現しようとする人たちの組織的協働体です。言い換えれば、企業が掲げる目的や価値を共有し、その達成や実現のために自らコミットする人たちの集まりです。逆に言えば次のような言動は「評論家的」として忌避されます。

 

① 自ら実行しない。

 

 「~すべきだ」「~すれば良い」と言うだけで自分で実行しないのは、単なる「意見」や「感想」やであって、現実的な提案にもなりません。「私以外の誰か」ではなく「私」を主語にして「私は~します」と言い切り、やり切ることが「組織的協働」です。

 

② 現実を知らない。

 

 現実(企業の実務や現場)は常に矛盾や対立に満ち、利害や感情の絡み合う混沌状態であって、そこで現実的にどのような問題が起きているかを知らず(知ろうともせず、聴こうともせず)、一般論やべき論を振りかざすだけでは何も解決しません。

 

③ 責任をとらない。

 

 ことが上手く行けば自分の手柄のように言い、上手く行かなければ人のせいにするような言動は忌避されます。「あとになってから(どうしようも無くなってから)もっともらしい一般論やべき論を言う」のも忌避される言動の特徴です。

 

④ 何も解決しない。

 

 批判や反対をするばかりで「ではどうする」という提案が無くては何も解決しません。「(一般論・理想論・法律論)ではこうなっています。」と言うだけでは何の解決にもなりません。必要なのは現実の問題に対する解決です。

 

⑤ 結局は他人任せ。

 

 評論家は「言う人」であって「行う人」ではありません。つまり「言う」ことと「行う」ことが分裂している人です。「行う」のはほとんど常に「自分以外の誰か」です。企業人や実務家は「知行合一」「言行一致」「自己責任」の人たちです。