20160113_「~のためには」「~のためには」の積み重ねで今日がある。

 

1.ローマは一日にして成らず

 

 どんなに大きく複雑なITシステムも、もとはと言えば 01100011…というような1か0という値の膨大な組み合わせであり、その組み合わせとプログラムの最終的な動作や成果は全て論理的(因果的)に矛盾なくつながっているはずです。

 

 優れた芸術家の絵画や彫像などの創作においても、作者が描いたイメージやデッサンのほかは、日々のひと筆、ひと筆の膨大な積み重ねが、最終的に完成された絵画や彫像として我々の目に映じてくるはずです。

 

 ローマは一日にしてならず、戦争も平和も、自由も幸福も、結局はひとりひとり、その瞬間瞬間の個々人の判断と選択が、やがては戦争に至り、やがては平和をもたらし、自由や幸福を実現するのだと思います。

 

2.企業や組織、社会や国家も諸個人のふるまいの積み重ね

 

 組織や企業、社会や国家のあり方も、組織、企業、社会、国家そのものが、個々の人間とは別に実在するわけではなく、その構成員たる人間諸個人がどのようにふるまうかの傾向や類型や態様でしかありません。

 

 自らが今ここにあるのも、遠い先祖から自分自身が生まれ落ちて今までの膨大な選択(意識・無意識を問わず、自律・他律を問わず)の結果です。ローマが一日にしてならないのと同様に、ひとは一日にしてならずです。

  

 仕事の成果や完成にも全く同じことが言え、仕事が最終的に上手く行くのも行かないのも、「そのためには」「そのためには」という膨大な選択や判断や準備や実行以外には(魔法でもないかぎり)結実はしないのだと思います。

 

3.部下の成長に思うこと

 

 長年いわゆる「管理職」として部下の指導をしてきた中で感じることは、「~のためには(いつまでに何をすべきか?)」という逆算式の仕事でなく、「~してから」「~してから」という積上式の仕事をしている人が非常に多いということです。

 

 勉強と仕事の最も大きな違いのひとつは、「一夜漬け効かない」ということで、自分に「こうありたい(こうしたい)」という目標状態があるのなら、「そのためには」「そのためには」と逆算して今やるべきことをやるべきです。

  

 それもしないで、いざとなって「出来ない」のは当たり前で、そのときにはもはや後戻りはできません。悔やんでも恨んでも、嘆いても悲しんでも、自分が今日そうあるのは、自分自身の全ての過去における選択(やるかやらないか)の結果なのです。 

 

<追記事項>常日頃から仕事の道具を磨く

 

 大工が常日頃から道具の手入れを怠らないのと同じように、企業組織に属していようがまいが、また、所定就業時間であろうがなかろうが、少なくともひとりの職業人として立つ以上は、常日頃から仕事上の「道具」を磨いてしかるべきだろうと思います。

 

 現にほとんどの職業人がそのようにして常日頃から心身の健康を維持増進しようとし、知識や技術を深めようとし、仕事のあれこれを思い悩むのが普通であり、仕事のオンとオフは実は連続的なものであるはずです。

 

 より良いオン(ワーク)のためにはより良いオフ(ライフ)が、より良いオフ(ライフ)のためにはより良いオン(ワーク)が、お互いに前提となり結果となっているのであり、オン(ワーク)とオフ(ライフ)は本来、矛盾も対立もしないはずなのです。

 

<追記事項>資本主義の精神…

 

 … と言いつつも、ふと思うに、「~のためには」「~のためには」という心構えや習慣は、最もいい意味での「資本主義(資本の原始的蓄積期)の精神」であったように思います。つまり、来るべき明日のために今日の苦難を厭わないという克己の精神です。

 

 その資本主義も、それに代わるべき社会主義も、皆が明るい未来に向けて「~のためには」「~のためには」と頑張ってきた割にはかえってそのことが皆の幸せの桎梏になっているような臨界点に既に達しているように見えます。

 

 来るべき未来社会は、もう、「~のためには」「~のためには」と頑張ることだけを優先させない、「成長よりも分配の定常社会」であるべきとの説もあり、筆者なども大いに同感なのですが、さて、 「それで良いか?」となるといささか疑念を禁じえないでいます。