20160716_Work と Lifeは矛盾も対立もしない。

 

 「ワークライフバランス」という言葉が安易に使われるのを、筆者は歓迎しません。ワークが単に「労務に服して賃金を得る」だけの意味であり、ライフが単に「私的な消費生活」にあるのなら、おそらく両者間には矛盾も対立もあり、どこかでバランスも必要でしょう。

 

 しかし、本来、人間にとって、「ワーク(仕事をする、働く)」ということは、人間的・社会的な目的を達成し、価値を実現することであり、組織的・社会的協働を通じてそれを行うことを通じて、技術的だけではなく、人間的・社会的に成長することであるはずです。

 

 その意味で、「ワーク」の充実こそが「ライフ」の充実と同時かつ同義であるべきだと筆者は思うのですが、もしも現実の世界でそれが相対立し、相矛盾しているのなら、まさにそれは「ワークにおけるライフの疎外(ライフにおけるワークの疎外)」でしかありません。

 

1.「働く」ということの価値

 

 おそらく人生で最も輝かしい時間の多くを費やして「働く」ということが、単に「労務に服して賃金を得る」という意味に留まるなら、資本主義であれ社会主義であれ、それは人間(人類)にとってあまり「幸福」なことではないように思います。

 

 より多くの賃金(貨幣)を得て、私的な生活圏を「安心」で「快適」で「豊か」にすることも、それはそれでひとつの「幸福」のモデルでありベースであって、決してそれを否定したり犠牲にしたりするつもりは筆者にはありませんが…

 

 しかし、それ(私的生活の充実)に留まらず(それは「ほどほどにして」、あるいはそれを「超えて」)達成すべき人間的・社会的な目標や、実現すべき人間的・社会的価値が、「働く」ことを通じて実存するはずだと、筆者は思います。

 

 2.「働く」ことを通じて成長する。

 

 何度も紹介しますが、筆者の部下のひとりは、「仕事を通じて自分自身の成長を実感することが自分自身の最大の動機付けです。」と言い、もうひとりの部下は「単に仕事ができるというだけでなく人間的にも成長できれば良いと思います。」と言いました。

 

 つまり、彼や彼女にとっては、「仕事(=働くということ)」の意味が、すでに「労務に服して賃金を得る」という「近代的」な意味を「超えて」おり、「働く」ということが、実は「人間の成長」という意味につながっているということです。

 

 そして「人間の成長」ということが、単に「個人の成長」という意味に留まらず、「社会的・協働的人間としての成長」という意味を含むものであるなら、彼や彼女の「成長」は、あらゆる「働く」人々の成長と「同時」であり「同義」であるとさえ、筆者には思えます。

 

3.「働く」ことの喜び

 

 天与の才能に恵まれた芸術家や研究者にとっては、「働く」ということがほぼ全て「生きる」ということであり、「自己実現する」ということがほぼ全て「人間的・社会的な目標の達成や価値の実現」に即自的(即時的)につながているという実感があるはずです。

 

 ごく一般的に「働く」人々にとっても、「何のために働くのか」と問えば、必ずしも「対価としての賃金」が全てではなく、たとえば仕事の相手先の喜びや幸福がそのまま同時に自身の喜びである旨の回答が返ってくるはずです。

 

 仕事(=働くということ)を通じて人間的・社会的な目標を達成したり価値を実現したりすることは、決してごくごく一部の天才的な芸術家や研究者に限られることではなく、あらゆる「働く人々」に共通のことがらであるはず(あるべき)だと、筆者は考えます。

 

4.「働く」ことが「幸福」ではないとしたら・・・

 

 それが「未だ」そうではない、としたら、それは「人間にとって本来的ではあるが、現実的・社会的・歴史的に未だそうではない」という意味であって、われわれが未だにそういう人間的・社会的な成長や発展の段階に達していない、ということにすぎないのです。

 

 ところが「働くこと」の現実は、資本主義経済の高度先進国であるわが国においてでさえ、例えば常態的な被雇用労働者の社会保険への加入さえ十分でないという(人間的・社会的貧困以前の)経済的貧困状態です。

 

 しかしそうした状態においてでさえ、「働く」人々は、「働く」ということの意味や価値がもっと高いものであるということを、「働く」ということそのものを通して「知っている」だけでなく、現実的に動機付けられ、実践しているのだと思います。

 

5.「働く」ことそのものの価値を高めたい

 

 最近はやりの「ワーク・ライフバランス」という言葉には、「ワーク」自体の価値を高めることを通じて同時に「ライフ」の価値を高めようという指向性があまり感じられないような気がするので、筆者はやや残念に思います。

 

 つまり、本来「ライフ」を豊かにするはずの「ワーク」が現実には「ライフ」を侵蝕し、破綻さえさせるとしたら(いつの間にか「ワーク」が「ライフ」の反対物にさえ転化してしまっているとしたら)「バランス」をとるどころの話ではないはずです。

 

 現代という社会は、先進国であれ途上国であれ、資本主義国であれ社会主義国であれ、「働く」ということへのRespectやそのValueが、未だ十分には高くないように思います。筆者は「人事」という職業を通じてそれを高めることに参画したいと願います。