20160910_習い、性となる。

 

1.企業ではもはや「教育」という概念自体が成り立たない。

 

 企業で不祥事が起きるたびに、経営陣が記者会見で「今後は社員教育を強化します。」と言うのが慣例のようですが、企業において、成年の社会人・職業人を相手に、「教育」という概念自体が、家庭や学校での「教育」と同じ意味においてはもはや成り立たないはずです。

 

 企業の不法行為や不当行為について、何がそうであり、なぜそうであるか自体はすでに自明であるはずで、それを「教育」で説明し、理解を得なければならないようなレベルの組織や企業なら、それこそ改めて「教育」が必要なのかも知れませんが…。

 

 不法性や不当性が自明であるにもかかわらずそうした行為が行われる真の実態は、不法であり不当であると知りながら敢えてそれを選択する人がいて、理由や事情があり、目的や利益があり、発想や態度や言動や習慣があるからです。

 

 語弊をおそれず言えば、企業の不祥事を防ぐためには、それを選択する人を取り除くのが第一であり、いかなる理由や事情、目的や利益があってもそれを選択せず、選択させないことを、リーダーやメンバーの日常的な発想や態度や言動を通じて習慣化すべきです。 

 

2.変わらなければ成長しない、それでも人は変わらない。

 

 マズローの欲求五段階説に待つまでもなく、人間の欲求の根底には、すさまじいばかりの自己保全・自己肯定・自己尊厳の欲求があり、筆者にはかえってそれらが自己成長や自己実現を阻んでいるのではないかとさえ思えます。

 

 しかし、「教育」も「成長」も、深度や態様の差こそあれ、自己保全や自己肯定や自己尊厳の壁に抗して、その人の知識や技術、言動や態度、習慣や発想、さらには価値観や人生観にまで、何らかの変容をもたらすものでなければ成り立たないだろうと思います。

 

 知らなかったことを知り、出来なかったことが出来ることも教育や成長による変容のひとつであり、そこまでならあまり自己保全・肯定・尊厳の壁に阻まれずに済みますが、言動や態度、習慣や発想の変容まで立ち入ろうとした瞬間、それらの壁が立ちはだかるでしょう。

 

 先に述べた不祥事の防止においても、上司が部下に「こうあってほしい」と切に願う「基本的な仕事の進め方」においても、単に知らなかったことを知り、出来なかったことが出来る変容では足りず、言動や態度、習慣や発想の変容まで立ち入らざるを得ません。

 

3.習い、性となる。

 

 一気に自己保全や自己肯定や自己尊厳の壁を打ち破り、人の言動や態度、習慣や発想、さらには価値観や人生観にまで変容をもたらそうとするのは(自分に対してさえ、他人ならなおさら)危険で乱暴ですが、例えば「言動や態度を変える」ことなら今すぐにでもできそうです。

 

 たとえばネガティブ(否定的・排他的)な言動や態度をポジティブ(肯定的・協力的)な言動や態度に言い換え、置き換えてみることは、最初は何となくよそよそしい感じがしても、飽きずに続ければ、いつの間にかそれが習慣化することがあります。

 

 そうすると、それが言動や態度の習慣から、思考や発想の習慣に転じることもあり得ます。例えば「悪く思わず、悪く言わず」は対人関係の基本ですが、それを言動や態度のレベルで習慣化するうちに、思考や発想のレベルで習慣化することも可能です。

 

 先に述べた不祥事の防止においても、上司が部下に願うことの定着化においても、必要かつ有効なのは「教育」などでは必ずしもなく、第一には組織や企業のトップ、職場のリーダー自身の日常的な言動や態度や習慣化、思考や発想の習慣化です。