20161106_働く人は誰でも哲学者だ

 

1.職業は人にものを考えさせずにはおかず、人の成長を促進させずにはおかない

 

 どのような職業でも、人にものを考えさせずにはおかず、人の成長を促進せずにはおかない、その意味で「職業に貴賎なし」と言えるのであり、その意味で人は職業を通じて誰もが哲学者となり、職業を通じて誰もが人格者となるはずです。

 

 人にものを考えさせず、人の成長も促進しない職業に、人が単に「経済的理由」で否応無く就いているのだとしたら、それこそが「疎外された労働」そのものであり、そうした「疎外された労働」を克服することこそが「人間社会の発展」であると思います。 

 

 人にものを考えさせず、人の成長を促進しないような職業は、本来は機械化や自動化によって淘汰されるべきであり、人にものを考えることを強制したり、また、考えないことを強制したりする労務管理は、やがて過去の遺物となるに違いありません。

 

2.ものを考え、ものを書くこと・・・

 

 筆者の「コラム集」は、筆者自身が「働く」こと、即ち主に企業の人事管理という仕事を通じて、感じ、思い、悩み、考え、気づいたことを書き連ねたものにほかなりません。いつの日にか、何処で、「働く」人々の共感を得ることができれば本望です。

 

 学校を出たばかりの筆者には何ら職業的な専門性も無く、国内の電機メーカーに就職しました。配属面接で希望先を問われたので「せっかくメーカーに入ったので工場勤務が良い」と言って京浜地区の事業場の労務管理部門に配属されました。

 

 当初は「独立生活者としての(専ら経済的な意味での)自己確立を!」と意識していたので、そのことは数年のうちに何とか成り立つように思えましたが、その後「独立職業人としての(専ら社会的な意味での)自己確立は?」と自問し始めて今現在に至っています。

 

3.あらゆる職業において、人は考え、学ぶことができる

 

 どのような職業においても人間は機械でもなければ道具でもなく、器官でもなければ装置でもない。歯車になりきろうとしても決してなり切れない。肉体労働であれ頭脳労働であれ、管理的立場であれ従属的立場であれ、ヒトは人であって、決してモノではない。

 

 そうした現実こそが筆者にとって人事労務管理の原点です。機械でも道具でも器官でも装置でもない人間は、「働く」ことを通じてさまざまに考え、感じ、学び、思い、悩み、病み、癒え、怒り、喜び、哀み、互いに関わる・・・。

 

 「働くことは人の為に何かをするということ」「働くことを通じて成長することが自分の最大の動機付け」「働くことを通じて仕事ができるようになるだけでなく人間として成長したい」という部下たちの言葉は、彼らがいかに「哲学者」であったかを物語っています。

 

<追記事項>「働く人の幸せを壊さないで欲しい」

 

 「働く人の幸せを壊さないで欲しい」上記の言葉も筆者のかつての部下の言葉です。企業というものを経済・経営・機能・効率・合理的に運営しようとすればするほど、もともとあらゆる人間が持つ「愛情」や「幸福」という価値を損なってしまうのではないか・・・。

 

 「働く」ことが、ものを考えもさせず、ひとを成長もさせないとしたら、それこそ「疎外された労働」でしかないのと同様に、人間的・社会的目的を達成し、価値を実現するはずの企業が、「働く人の幸せを壊す」存在であって良いはずがありません。

 

 人事労務も企業経営も科学ではない。それらは「未だ科学ではない」と言ったほうが良いかも知れないし「科学が未だそうではない」と言えるかも知れない。「アリストテレスは退屈な詩人だった」そうですが、筆者自身も当面「退屈な三行詩人」でいようと思います。