20161122_他人の幸せが同時に自分の幸せであるように…

 

1.人を不幸にして自分の幸せが成り立つはずがない。

 

 封建貴族がいくら豪奢な暮らしをしていても、少しも幸せそうに見えないのは、根本的にはその豪奢な暮らしぶりが、結局は封建的な圧制や搾取のうえに(したがって社会の大多数の被抑圧・被搾取階級の不幸)の上に成り立っているからです。

 

 そのことは資本主義社会であっても、社会主義社会であっても結局同じで、およそ人を不幸にして自分の幸福を追求しうる社会には、真に人間らしい全き幸せなど存在しない、と考える方が分かり易いと思います。

 

2.人の幸福が同時に自分の幸福である人たちがいる。

 

 しかしその一方で、たとえ封建制社会であっても、私利を省みず他の多くの人たち(=人類)の幸福のために尽くし、同時にそうすることによって自分ら最上の幸福を感じることができた人たちが確実に存在したし、現在でも存在します。

 

 そういった人たちは、人間の天性を知り、かつそれを実践できた(る)人たちです。資本主義社会でも社会主義社会でも、実は人間は常に自らの天性を既に知っていて、あとはどれだけそうは行かない諸現実とどう闘うかの違いでしょう。

 

3.わが身を振り返ってみれば何ほどのこともなく…。

 

 かく言う筆者自身を振り返ってみれば、何ほどのこともなく、日本という名の資本主義社会に生まれて育ち、職業を得てやっとここまで来たものの、やっと妻一人、子一人を幸せにできたかできなかったかのラインだったように思います。

 

 それでも筆者は思います。「人の幸せが同時に自分の幸せであるような幸せが、ほんとうに人間らしい幸せなのではないか」と。「愛」という言葉から、そこに含まれている「自己愛」を取り除いたら何が残るのか、というのがいまだに筆者の問題意識です。