1.悩みや苦しみを強いてはならない
「考えることは悩むことであり、書くことは苦しむことだ」という言葉があります。上司として部下が作った書いた文書を見ていると、「この人は思うことにも悩まず、書くことにも苦しんでいないなあ」と感じることがあります。
「もう少しくらい思うことに悩み、書くことに苦しんだ方が自分の成長につながる…」と言いたいのですが、しかし、それが「指導に名を借りたハラスメント」にもなりかねず…「悩み」や「苦しみ」は強いるべきではないのです。
2.指導とハラスメントの違い
「指導」と「ハラスメント」とは何が違うのか、以下は反省を込めた振り返りです。ただし、全ては対象者としての「相手がどう感じるか?」です。注意指導する側に「愛情」や「理性」があろうがなかろうが、相手の「感情」次第です。
□ 「信頼関係」の前に「2wayコミュニケーション」があるか?
… 当方が一方的に言うだけで、相手が黙り込んでしまってひと言も発することが出来ない状態では、もはや「指導」とは言えないのでそこで停止すべき。
□ 「何を言うか」より、「どう言うか」が問題
… 当方に合理性があろうがなかろうが、相手がそれを「ハラスメント」と感じるかどうか。相手の自尊心を損ねる「言うこと」も「言いかた」も厳禁。
□ 「それと気付かない」のがハラスメント
… 当方が「指導」のつもりでも、相手にとっては「苦痛」でしかないかも知れない。それに気付かないことがハラスメントの始まり。
□ 怒っていないか?
… 感情の起伏は誰にもあるが、それをそのまま相手を「はけ口」にして良い訳がありません。特に怒りやイライラの感情は相手の心情にこたえます。
□ 侵していないか?
… 相手へのリスペクト(人格尊重)を欠いてはならない。相手の自尊心を損ねて(侵して)自分の自尊心を保とうとするようでは幼稚(未成熟)に過ぎる。
□ 怠っていないか?
… 「人の短を言うなかれ、己の長を言うなかれ」という言葉があります。人の足りない点、至らない点を指して言う以上、自分の修養を怠ってはならない。
3.必要なのは「指導」より「支援」なのではないか?
指導のつもりで言ったことが、相手の心情には「ハラスメント」としか映らないことは現実にあります。指導の行き過ぎによるパワハラの場合は「本人のため」という気持ちが強いのでセクハラより「気付きにくい」でしょう。
しかし、そもそも、部下にとって必要なことは「注意」や「指導」なのかと反問(煩悶)すれば、「必ずしもそうではない」のかも知れません。それよりも、上司も部下も結局はお互いに「支援」を求め合っているのかも知れません。
もちろんそれは「本人がやるべきことを手伝う」ということではなくて、「本来人がやるべきことができるように支援する」ことであって、上司なら適時適確な判断と責任、部下なら正確で迅速で丁寧な仕事以外には無いのです。