<追記_20211004>
ゴーン氏に学ぶべきは、「信頼は結果で得られる。」ということだったと思います。当初は「コストカッター」としてしか認知されなかった同氏が、瞬く間に「日産の救世主」となったのは約束を結果で示したからです。
そして、結果を示す最も分かりやすいやり方は、それを数字で示すことです。彼にとってはそれは日産と言う企業の「業績」であり、日産と言う企業で得る「報酬」だった。おそらく彼自身は両者の間の整合性を言うでしょう。
いまさら彼を非難し、旧悪を暴くかごとくかつての側近者がれこれ言いますますが、その人たちはかつてゴーン氏の業績の恩恵を受けた人たちではないのでしょうか。そこで得た恩恵を全て返還した上での指弾なのでしょうか?
業績は彼ひとりのものでなく、現場従業員の頑張りの成果だと、そんな分かり切った美辞麗句は言い訳にはなりません。経営トップは実現すべき価値を判断し、選択し、指し示し、それに向けて従業員を動機付けることが仕事です。
それをゴーン氏がやり切った。そのことを後からその恩恵に浴したはずの身内連が、何らの自己呵責も無いかのように「自分は反対した」と言わんばかりの事後追及を行う姿には、到底納得できません。
ヒトラーなき後にヒトラーを言う、スターリンなき後にスターリンを言う、「我々は騙された、命令されただけ」と言うのは大きな嘘・逃避・無責任です。彼らは再び独裁者に服従する。「だまされて服従した責任」を取るべき。
ただし、困難や危難が過ぎ去った後世から、自分が出来もしないあるべき論を言うのはもっと安易・無責任です。せめて大勢に流されず、何と言われようが賛成も協力できないことには賛成も協力もしないことならできる…。
ゴーン氏の「合理性」も、必ずしも「経済合理性(経営経済指標)一本やり」ではなかったはずです。では何が足りなかったのか、何を「不合理なもの」として見落としてしまったのか…
<追記事項_20190515>
どんな時代や体制の制約の下でも、「より人間らしく」精いっぱ生きようとした人たちがいました。たとえヒトラーやスターリンの下でも。迫害されながらも、精いっぱい「より人間らしく」生きようとした人たち…。
そしてひとつの時代や体制を克服し、根本から覆したのは、そうした人たちの力なのだと思います。また、何が「より人間らしく」生きることであったかは、実際にそう生きようとした人たち自身が多くを語り残しています。
それぞれの時代や体制を支配する側にあった人たちでさえ、何が「より人間らしく」生きることかを「知っていた」はずです。だからこそそれぞれの罪を償い、人間が人間らしく生きることに尽くそうとしたはずです。
<以下原文>
1.カルロス・ゴーン氏のリーダーシップ
カルロス・ゴーン氏が日産自動車の救世主としてマスコミに登場したとき、マスコミでは「コストカッター」としての紹介が主流であったように記憶していますが、今では「グローバル・ビジネス・リーダー」の代名詞です。
同氏がリーダーシップを語る言葉からは、「結果を出し続ける」ことがリーダーとしての認知と信頼を得るための絶対条件である、と言っているように読み取れます。
これに対しては、「結果が出さえすれば何をやっても良いというわけではない」という言い方・考え方があるかも知れませんが、同氏の言葉は、もちろんそれらを踏まえた上での「結果主義」だと思います。
2.一般論では何も解決しない
カルロス・ゴーン氏は現役の経営者ですから、さすがに評論家のような「一般論」も「べき論」も言いません。「私は〜しました。」「私は〜します。」としか言わず、そこから何を学び、何を行うかは我々次第です。
湯川秀樹氏は「過去を言うように未来を言え」と訓えたそうです。ゴーン氏も「将来の結果にコミットする」ことをリーダーの条件に挙げています。「〜すべきだ」ではなく、「私は〜します」です。
評論家のような「一般論」や「べき論」では何も解決しません。仕事は「評論」でもなく、「作業」でもなく、「解決」なのです。おそらくゴーン氏は、「解決」という「結果」を積み上げてきた人なのだろうと思います。
<この稿の参考文献>
「カルロス・ゴーンの経営論」(日産財団)
<追記事項_20181125>
カルロス・ゴーン氏が2018年11月19日に金融商品取引法違反(自らの報酬を約50億円過少記載・申告した有価証券報告書の虚偽記載) の容疑で、東京地検に逮捕されたことはご存知の通りです。
日産の業績を見事に回復した多大な尽力と功績に対する報酬について、彼自身が「世界標準」で適正と考える額と、一般株主等が「世間標準」で適正と考える額とのギャップを埋めるのに「適正手続」を逸脱したということ…。
合理主義と効率主義を徹底するなら、本来しなくて良いはずの「虚偽記載」容疑を自招したのは残念ですが、今まで「何もしなかった」人たちが「全てを行った」人を今さらもっともらしく批判する姿には同感できません。