20170409_対立物に含まれる普遍的価値

 

1.「戦争」にも「正義」という普遍的価値が!?

 

 フェアに言えば、教育勅語にはいくつかの普遍的な価値観が含まれており、誰もそれ自体を否定することはできないと思います。しかし、少なくとも国家神道や天皇主権に基づくような価値観は既に歴史的に否定的に学習済みです。

 

 さらにその下で行われた戦前の学校教育への反省に基づいて教育基本法およびその下での戦後の学校教育が行われてきたというのが事実です。そうした歴史的経験を踏まえて言えば「教育勅語」そのものを全体として「否定」すべきです。

  

 他に例えるなら「戦争」にも、「正義」などのいくつかの普遍的価値観が含まれているかも知れないし、だからこそ「戦争」は未だにいろいろな名目の下に今でも行われているのでしょうが、やはり「戦争」自体はいずれ歴史的に完全否定されるでしょう。

 

2.「人事」における「普遍的価値」

 

 筆者は「人事」という職業を通じて、自分では「人事」における「普遍的価値観」を追求しているつもりでいます。それは例えば、「人と組織の最適関係」という価値観であり、「人が仕事を育て、仕事が人を育てる」という価値観です。

 

 また、例えば「働く(仕事をする)ということは人間的・社会的な目的を達成し、価値を実現すること」であり、「組織的・社会的協働を通じて働く人たちが人間的・社会的に成長すること」であるはずだという信条的な価値観です。

 

 さらに、人事評価や人事処遇においては、「フェア」という価値観が、目標管理においては「モチベーション」が中核的な価値観であると思っており、「人事」全体を通じた普遍的価値観は「ヒューマニズムの実現」だと思っています。

 

3.「和解」とは「対立」に含まれる普遍的価値観を共有すること

 

 米国が北朝鮮を再び「テロ支援国家」に指定し、ますます「対立」の度を深めていますが(2017年11月現在)、そもそも国家間に(結局は人と人の間に)、人間的な価値観を一切共有しない対立関係など成り立つのでしょうか?

 

 もし成り立つとしてもそれは国民を国家間の戦争に動機付けるための為政者によるデマゴーグ(プロパガンタ)においてではないでしょうか。当たり前ですが「平和」より「戦争」を普遍的な価値観としてもつ国民はどこにも存在しないのです。

 

 筆者は長い職業経験から「対立」は、決して「無理が通れば道理が引っ込む」式や「足して二で割る」式によって「解決」するのではなく、両者が共通普遍の価値観に立つことによって「和解」に達するのだと信じています。