20170430_「成長」とは「乗り越える」こと

 

1.民主主義には「成長」が必要

 

 民主主義の原理は「多数決」などでは絶対になく、「多数決をもってしても奪えない基本的人権」がむしろその根幹であり、民主主義の原理は「人間性の尊厳であり、徹底したヒューマニズムである」と筆者は思います。

 

 そして「個人の尊厳」と「人類の福祉」は決して両立しないものではなく、「個人の尊厳」と両立せず、それを踏みつぶして進もうとする「人類の福祉」は、ほぼ間違いなくその仮面を被ったファシズムであるに違いありません。

 

 「自由主義でない民主主義は民主主義ではなく、民主主義でない自由主義は自由主義ではない」「民主主義でない社会主義は社会主義ではなく、社会主義でない民主主義は民主主義ではない」と思います。

 

2.「何を乗り越えてきたか」が「成長」

 

 一見二律背反に見えるふたつの概念や価値観が、お互いのレベルを超えて共通の「高み」において統一的な概念や価値観に達することを、「止揚」と言うのかも知れませんが、もっと簡易に言えばそれを「成長」と言っても良いような気がします。

 

 公も私も、組織も個人も、人間本来の天性(ヒューマニズム)に照らしていえば、決して矛盾も対立もせず、もしそれらが現実に矛盾や対立を生じているとしたら、それは、おそらく少なくともいずれか一方が未熟であるためであろうと思います。 

 

 人間にとって本来ひとつの事態がまるで二者に分裂・矛盾・対立しているように見えるのは、それらが人間本来の天性(ヒューマニズム)に照らして未熟であるからであって、その対立を「乗り越える」ことが即ち「成長する」ということなのだろうと思います。