20170628_悪く思わず、悪く言わず

 

1.人間関係を円満に保つ基本…

 

 どんな人とでも間関係を円満に保つための秘訣は「悪く思わず、悪く言わず」だと思います。人を悪く言ってもきりがなく、人のせいにしても仕方ありません。他人を否定する心は、自分を肯定する心の裏返しでしかありません。

 

 いかなる人についても、いかなる場面においても、人を悪く言うことは止めようと筆者は思います。「悪く言わず」という言葉の習慣化が出来れば、自然に「悪く思わず」という思考の習慣化もできるように思います。

 

2.オコらず、オカさず、オコたらず…

 

 筆者自身が言動や態度に感情が出てしまうタイプでしたが、もう「怒(オコ)りながらモノを言う」のは一切止めようと思います。筆者の周囲にも依然としてそういう人たちがいますが、コミュニケーションの阻害要因になりこそすれ、促進要因にはなりません。

 

 また、相手の人格や心情を「侵(オカ)さない」ようにします。「人のこころは傷つきやすく、気付きにくい」です。さらに、相手を責めたり相手のせいにするヒマがあったら、自分の人格性の修養を「怠(オコ)たらない」ことにします。

 

3.「良いんだ、良いんだ」という心…

 

 それでも他人から理不尽な対応を受けることは筆者にもあります。しかし、昭和の宰相として今なお人気のある田中角栄氏は、疑獄の渦中で、かつて自分が面倒を見た人からの誹謗中傷を「良いんだ、良いんだ」と言って赦したそうです。

 

 角栄氏はそのようにして「広大な中間的支持層」の裾野を広げて行ったのだと思いますが、いついかなる場合でも、人を悪く思わず、人を悪く言わず、オコらず、オカさず、オコたらず、赦すこころで接していけば、人間関係は糧になるはずです。 

 

<追記事項>否定したら誰もついて来ない。

 

1.人間関係の根本は「人を否定しない」こと。

 

 あらゆる人間関係を良好に保つための基本中の基本は、「人を否定しないこと」だと筆者は思います。人の言うこと/行うこと/考えること/… その他その人に関するあらゆることを否定せず、肯定的に(少なくともニュートラルに)受容すること。

 

 自分に自己肯定と自己尊厳の意識があるのと同等以上に、その立場や年齢や能力や…その他その人に備わるあらゆる属性にかかわらず、人は自己肯定と自己尊厳の意識で成り立っているのですから、それを否定して良好な関係が成り立つはずがありません。

 

2.歴史的なリーダーは皆、「人を否定しない」人たちだった。

 

 田中角栄は「広大な中間支持層を形成する」ことを心掛け、自らへの誹謗を受け流して首相の地位に登り詰め、鄧小平は一見資本主義かと見紛うばかりの「発達即原理」という方針を示して中国人民を引率しました。

 

 人は、自分を否定する人には決してついて行かない。このことは一国のリーダーだけではなく、企業経営者にも職場管理職にも通用する原理であり、少なくとも「一緒に連れて行く」つもりの人たちを「否定」することはタブーです。

 

3.「人を否定しない」ことを前提に指導・育成する。

 

 しかしながら上司から部下を見れば、部下の知識や技術や態度や習慣や…その他の属性に否定すべき(改めるべき)要素や側面があるからこそ指導も育成もしようとするのだから、一切否定をせずに指導や育成が成り立つのか疑問です。

 

 それでも、否定しないで指導し、育成することが可能であり必要である、と筆者は思います。否定は他者たる上司がせずとも、部下自身が苦しいほど自己否定感に陥り、そこから這い上がってはじめて自己成長を感じるものだからです。 

  

<追記事項:怒らず、侵さず、怠らず

 

 これも筆者の「私見」、というより「反省と自戒」ですが、誰とでも良好な人間関係を保つための要諦は、「怒らず(感情的にならず)」「侵さず(相手の自尊心を侵さず)」「怠らず(自分の修養を怠らず)」だと自分に言い聞かせているつもりです。

 

1.怒らず(感情的になって不用意な言動や態度をとらない

 

 人間は感情の動物であって、相手のほんのちょっとした言動や態度や表情や、身の回りの出来事に対して、まるで静かな池の水面が風に波立つように快・不快の波に揺られてしまい、それによって表面を覆う感情の薄膜は簡単に破られてしまいます。

 

 相手も自分もこのことは同じで、自分の感情の発するままに不用意な言動や態度を相手にぶつけるようなことや、自分の感情の平静を、しばらくやり過ごしてもとに戻るのを待つ以上のやり方で保とうとしてはならないのだと思います。

 

2.侵さず(相手の人格的要素(特に自尊心)を損なわない)

 

 人間の「生存」の本能や欲求は、場合によってはそのために他人の「生存」の本能や欲求を侵すことも辞さず、同様に、人間の「自尊」の本能や欲求も、そのために他人の「自尊」の本能や欲求を侵すことを意に介さないほどに強固だと感じます。

 

 相手が誰であろうが、自分の感情や、または自分の自尊心のゆえに、相手の感情や、または相手の自尊心を損なってはならない(相手との意思疎通も信頼関係も、それを前提とする何事も「成らない」)のだと思います。

 

3.怠らず(自分の人格的諸要素を高める修養を怠らない)

 

 人間がこの世に長らえて得るもののうち、また人生の最も輝かしい数十年を職業に費やして得られるもののうち、人間として最も普遍的で貴重なものは、人格的成長ではないかと、筆者は思います。それでこそ生まれて働いてきた甲斐だと思います。

 

 いろいろな人との出会いや関わりのなかでこそ、われわれは「怒る」こともするし「侵す」こともするのですが、それらを乗り越えて自分自身の人格的諸要素を高める修養を積むことが、人間関係を最も良いものにすると思います。

 

<追記事項:追い詰めず(自分も他人も、それ以上は追い詰めない)>

 

 「自分を追い詰める」という言葉が肯定的に使われる場合もありますが、メンタルヘルスを維持する上では「頑張りすぎない」ことや、「自分を追い詰め過ぎない」ことも必要です。特に、「過去に向かって(今さらどうにもならないことで)自分を責めない」ことは鉄則でしょう。

 

 「自分」の場合にはその辛さを自覚しやすいので、メンタルヘルス上の問題を生じる前に「追い詰める」手を止めることは比較的しやすいでしょうが、「相手」の場合にはそれを感じ取りにくく、「そうとは気づかずに」メンタル上のダメージを与えてしまう場合があります。

 

 「なぜ?」を繰り返して問題の根源に迫る手法は健全な人間関係と精神状態のもとでなら一定の効果をもたらすでしょうが、上司が部下を叱責したり詰問したりする場面では、部下が何も言えずに黙ってしまった瞬間に「手を止める」ことが肝要です。