20180729_人の短を言うなかれ

 

1.「人の短をいうことなかれ、己の長を説くことなかれ」 (崔子玉座右銘)

 

 掲題の言葉は、空海(弘法大師)も座右の銘にしたとのことです。自分以外の人の至らない点は見えやすくて言いやすいが、自分の至らない点・足りない点は見えにくく言いにくい。それ知らずに安易にものを言うな、という意味だろうと思います。

 

 例えば部下に注意・指導を行うときは、「人(部下)の短」を指し示しますが、実はそれを自ら必要十分に習得し、実践しているとは限らず、ましてや「己(上司)の長」を持ち出してまでそれを言うのは恥ずかしいことです。

 

2.怒らない、侵さない、怠らない

 

 それでも敢えて上司として「人の短」を言わざるを得ない場合は、いったいどうすれば良いのでしょうか。筆者自身はせめて「怒らず(感情的にならない)」「侵さず(人格的非難をしない)」「怠らず(自分自身の修養を怠らない)」ことだと自戒しています。

 

 人(相手)の「短(足りざるところ)」が、特に己(自分)(例えば自分の自己尊厳感)を損なうように思うときに己(自分)の心に「怒り」が生じるのでしょうが、それをそのまま人(相手)ぶつけていても問題はこじれるだけです。

 

 また、人(相手)の「短(足りざるところ)」が、その「人格的な要素」にあるときに、それをそのままあからさまに指摘して人(相手)の「自己尊厳感」を侵すことも差し控えるべきで、指摘するなら個別具体的な行動や態度およびその選択の適否です。

 

 人(相手)の「短」は見えやすく言いやすいのですが、己(自分)の「短」は気づき難く、認め難く、改め難いものです。でも人(相手)の「短」を指摘しなければならない立場にあるなら、己の「短」を矯める修練を怠ってはなりません。

 

<追記事項_20180810>人(相手)を「否定する」ことなく、どこまで「頑張る」か?

 

 人(相手)の「短」を言うことは、やはり人(相手)を何かしら「否定する」ことです。これをしない(つまり人(相手)を何ら否定しない)で、誤りを正したり、危険を防いだり、相手に気付かせたりすることは出来るのでしょうか?

 

 犯罪や刑罰においてではなく、家庭や学校においてでもなく、常識的な社会的関係にある限りにおいては、やはり人(相手)を「否定する」ことは原則としてすべきでなく、「否定する」ことをせずに「頑張る」べきだと思います。

 

 ただ、やはり、例えば人(他の人)の尊厳に対する急迫不正の侵害を防ぐためには(正当防衛や緊急避難が成り立つのと同じように)、人(相手)の言動や態度や選択を阻止したり制圧したり是正したりする(=総じて「否定する」)ことは必要です。