20190720_思考と感情の停止と非停止

1.人間的な思考や感情を停止してはならない。

 

 「経営の神様」と謳われた松下幸之助氏の言葉に「祈るような気持ちで人事を行う」「とくにその人にとって不利な扱いになりうる人事についてはその人のことを幾晩にも思い続ける」という趣旨の言葉があり、それはいまだに筆者の信条になっています。

 

 作家の太宰治氏の言葉にも「『優しい』ということは『人を憂うる』ということだ。人の苦しみや悲しみを自分のものとして苦しみ悲しむことができること、それが同時に『人に優れる』ということだ」という趣旨の言葉があります。

 

 それが「組織だ・仕事だ・命令だ」と言って、それらのせいにして、自らの内から発する人間的な思考や感情を諦めてはならず、手放してはならず、停止してはならない。(歴史上の多くの誤りが人間的な思考や感情を諦め・手放し・停止するところから生じた。)

 

2.一方で、怒りや憎しみという感情を停止すべき場合がある。

 

 「非人間的なことがらに対する怒りが人間的な歴史を進める原動力になった」ことは否めない。しかし、「正しいこと」ほど多くの人間を迫害してきたことはない」のも歴史的な真実。「不正義や非人間性に対する怒り」は人への攻撃や迫害の手前で停止すべきです。

 

 「唯一・絶対」と言えるほど「正しい」ことが、少なくとも人間どうしの間でそれほど多くあるとは思えない。「正しい」ことは常に「相対的」であり、単に「自己保全・自己肯定・自己尊厳」の発露でしかない場合のほうが多い。

 

 感情の赴くままに「自己」中心の「正義」を行ってはならない。「自己」の保全・肯定・尊厳から生じ、「相手」を責めたり、損ねたりする「態度や言動」の手前で、その「感情」に「気付き、手放す(その感情から自由になる)」ことが重要です。