20190721_なぜ言行は一致しないのか?

 

1.後(あと)から「分かる」から。(その行動の「瞬間」に気付くのは難しい)

 

 現実と格闘して四苦八苦・悪戦苦闘している本人を傍目に、現実をただ伝聞・傍観しているに過ぎない他人が、「~すれば(いい)」「~すべき(だった)」と「一般的抽象的なあるべき論」は、誰でも言えますが、その行動の瞬間に「わかる」ことは難しい。

 

2.自分自身の経験談にさえ「脚色」が伴うから。(「経験」は「脚色」される)

 

 何ごとも、事実に基づいてモノを言う、という態度でありたい。自ら現実と格闘して四苦八苦、悪戦苦闘のすえ得られた経験知は傾聴に値する。…しかし、多くの経験談には論者にとっての都合の良し悪しに応じて多少の脚色が伴うのが、残念ながら現実です。

 

3.立派なことを「言う」人が立派な「行い」をしているとは限らないから。(言うは易く…)

 

 人間誰しも「こうしたい」「こうありたい」という思いを抱きながら生きているし、「自己保全」「自己肯定」「自己尊厳」が優先する。現実の行ないよりも、どうしてもそうした思いが優先してしまい、行なっている以上のことを言ってしまう。

 

4.「言う」ことはあくまで「仮説」だから。(言説には実践による検証が必要)

 

 現実は常に混沌と制約と矛盾に満ちている。そこを何とかして現実解を導き出すのが実践です。実践には理論が必要なので、それを言う。しかし、それはあくまで仮説にすぎず、その信頼性・妥当性・納得性は現実との格闘によって検証されなければならない。

 

<言行の乖離は実践を通じては常に是正されなければならない。>

 

 言うことと現実との間に乖離があり、言うことと行いとの間に乖離があるのは多少やむを得ない。それを禁絶してしまっては言論が成り立たない。しかしその乖離を実践を通じて何とかして縮減する努力を怠ってはならないと思います。