20191025_組織的であることの半分を捨てる。

 

1.組織的であることの意義

 

 天才的な芸術家でもないかぎり(天才的な芸術家でさえ)「仕事」には必ず「相手」がいるし、それを支える「仲間」がいます。たったひとりで「仕事」を完成することは出来ないし、多くの人たちの理解や協力が得られてこそ、仕事の成果が花開くのです。

 

 およそ「企業」や「組織」とは、何らかの人間的・社会的価値を実現するための、人と人との協働体(共同体)であり、ある人の最善のアウトプットが、他の人の最善のインプットになるように連鎖してこそ、結果的に最善のアウトプットが得られるのです。

 

 それを単に「チームワーク」と言っても「組織力」と言っても良い。共通の価値の実現に向けた問題意識と必要情報を、あたかも人体の血液のように組織全体に巡らせ、各器官の機能を最適・最大に発揮させることが「企業」や「組織」の活動です。

 

 そして、「企業」や「組織」を構成する人たちに向けて、どのような価値を実現すべきかを判断(デシジョン)し、指し示し(オリエンテーション)し、それに向けて動機付け(モチベーション)することが「企業」や「組織」のマネジメントシップの基本です。

 

 さらに、「企業」や「組織」の構成員相互が、それぞれの専門的な知見や能力を持ち寄り、啓発し合い、機能や役割を最適に分担し合い、「企業」や「組織」の目的や価値の実現にコミットしあうことがメンバーシップの基本であるはずです。

 

2.組織的であることの非効率や不合理

 

 ところが現実には、組織的であるがゆえの非効率や不合理が至る所に見え隠れしており、思わず「マネジメントとは組織の非効率や不合理を排除すること」と言いたくなるような状況です。

 

① 組織的であるがゆえの無駄

 

 誤解をおそれずに言えば、知的生産物を組織的効率的に作る際の鉄則は、「自分勝手に作らない」ことであり「人の生産物を活用すること」です。これは物的生産物では当たり前の常識です。そうでないと協働も共同も成り立たないのです。

 

 学術論文が「引用」を重視するのもその所以です。ところが一般的な企業や組織で行われる「会議や稟議(意思決定プロセス)」ほど、これに反するものは無く、どだい人の発言を聴かず、尊重せず、引用せず、何と非効率と不合理の多いことでしょう。

 

② 組織的であるがゆえの怠慢

 

 組織的であるがゆえの不正の例は枚挙にいとまが無い状況です。なぜ個々人は健全な人格や謙虚な感覚を有するにもかかわらず、「企業」や「組織」になると(歴史的には「国家」になると)それが時として非人間的、反社会的な行為にまで立ち至ってまうのか。

 

 その社会心理学的な理由は「綱引き理論(集団的サボタージュ)」として既に周知のとおりですが、企業や組織の中にはこれに類する怠慢や不正、あるいは責任回避や責任転嫁が、何と多いことでしょう。

 

③ 組織的であるがゆえの依存

 

 さらに言えば、組織的であるがゆえの他者依存、自律性の喪失・忘却・放棄。または、自らは思わず、行わず、ただ単に他人の行動を後からもっともらしく「批評」するだけ。結局は「組織」という名の「他人」に従属しているだけ…。

 

 もう一度、ひとりひとりの社会的存在としての人間に立ち戻って、何を目的に、どのような価値を、どのように実現するために、どのように協働するのが良いのか、思い、悩み、行動し…組織の半分(無駄)を捨て、組織の半分(意義)を取り戻したい…。

 

<未完>