人はなぜ相手の手間を惜しまず、自分の手間を惜しむのか。ほんの少しだけでも「自分の手間を惜しまない」ことが、どれだけ多くの「相手の手間を惜しむ」ことになることか…
1.自らの手間を惜しまず、相手の手間を惜しむべし
単なる届け出や手続きのような仕事にも、相手があってこそ、なのですから、自分の手間を惜しんでいい加減なことをすると、その分またはそれ以上に相手の手間を増やしてしまい、結局はその仕事を成り立ちにくくしてしまいます。
人間には「自分の手間を惜しむ」本性があり、それが効率化や機械化につながるのかも知れませんが、そこに同時に「相手の手間を惜しむ」という観点がないと、単なる「負担や責任の転嫁」になってしまいます。
2.相手への想像_Imaginationと配慮_Considerationを惜しまず。
ものごとの「分かり易さ/難さ」や「使いやすさ/難さ」の差は、そこに、相手への想像や配慮があるか否か、「自分の手間を惜しまず、相手の手間を惜しみ、最後のぎりぎりの努力や工夫」があるかないかの差だろうと思います。
報告書や説明書、ちょっとしたメールひとつでさえ、書き手がいかに読み手への想像や配慮、自らの手間を尽くしているか・惜しんでいるかは、明らかに文体や文面に合わられてしまいます。
例_相手への「そのひと言」を惜しまない。
例_Give & Take ではない。Give & Give & Give and Take だろうと思う。
例_筆不精は多くを失う。