人類が行ってきた戦争や迫害の最大の反省点は、「悪徳が人を虐げるのではなく、正義こそが人を虐げる」ということなのではないかと思います。「それを人類の普遍的な正義だと信じ・行い・強いること」だと言う方が良い…?
例えばヒトラーもスターリンも東條英機も…彼らはいずれもそも時代の・民族の・国家の「正義」を担って登場したはずであり、だからこそ多くの国民や民衆はそれを圧倒的に・熱烈に支持したのです。
「知らなかった・だまされた」という言い訳では済まない。それこそ「嘘」だと思います。「無責任」すぎます。それを「正義」の剣として振りかざし、何百万・何千万人ものひとたちを虐げたのは、実は自分達自身ではなかったのか…。
だからといって自分自身にではなく、自分以外の国民に向かって「一億総懺悔」を為政者が言うのは、それはそれでまた「責任」の転嫁でしかなく、「正義」の押し付けでしかなく、新たな「虐待」を生む予兆でしかないでしょう。
・善い行いは必ずしも良い結果を生むとはかぎらない。
・悪事なおもて反省すべし、ましていわんや善行をや。
・抽象化に逃げ込んではならない。大きな言葉には暴力が伴う。
・思考や感情を停止してはならない。足元の現実から逃避してはならない。
・上手いことを言うやつはその陰でズルいこと・ワルいことをしている。
・言行は一致しない。そこに苦しまず、悩みも無い人は信用できない。
<追記事項_20210602>
IOC会長は「東京五輪の開催は、犠牲を払ってでも実現する」と表明した…。犠牲は自らに強いるべきものではあっても、他人に強いるべきものではない。「平和や連帯の証し」が弱者や貧者や病者に犠牲を強いてはならない。