20210501_「働くコミュニティー」は幻想か?

 

 「働きやすく、働きがいのある職場づくり」すなわち、「働く人たちによる働く人たちのための働くコミュニティーづくり」は、政府が何を言おうがともに働く人たちにとって共通的な価値のひとつだと、少なくとも筆者はそう信じています。

 

 それこそが人事労務マネジメントの目的であり、意義であり、労使共通の価値であるとさえ思います。そして、新型コロナ禍の波は、それが「現場知らずの絵空事(幻想)」に過ぎないかどうかを、われわれに(労使ともに)鋭く問いかけているのだと思います。

 

1.「働き方改革」は「幻想」だったのか?

 

 わが国の首相が「アンダーコントロール」と言っい、「完全な形でしか開催しない」と言い、「コロナに打ち克った証」と言い、「同盟の証」と言い始めたことも、ほぼ全てが「足元の現実に基づかない絵空事(幻想)」にしか過ぎなかったことが明らかになりました。

 

 そう言えば「働き方改革」も、「時間外労働の上限規制」を医師にも法的に強制するという現実的意味以上には筆者の耳には聞こえず、「同一労働同一賃金」も「非正規労働者の待遇改善」という現実的意味以上には筆者の耳には何も聞こえませんでした。

 

 もっとも「百の嘘には少なくともひとつの真実が含まれる」のが通例なので、それらすべてを「絵空事(幻想)」として批判して切り捨てるのでなく、たったひとつでも真実があるなら、そこを「拠点」に現実に巻き返しをかければ良いのだとも思います。

 

2.「働きやすく、働きがいのある職場」を「幻想」にしてはならない。

 

 ところで「働きやすく、働きがいのある職場づくり」と言うほうが、「働き方改革」とか「同一労働同一賃金」と言うよりも、現にそこで働く「自分たち自身」で何とかする以外にないし、何とかできるという意味で、まだ少しは現実感があるように思います。

 

 たとえ「コロナ下の医療現場」のような職場であっても、それでも「働きやすく、働きがいのある職場」を何とかして維持しようとすることのほうが、「働き方改革」や「同一労働同一賃金」を空しく唱えるよりも、よほど誠実で現実的だろうと思うのです。

 

 例えば、目の前の、救えるはずの生命を、何としてでも救おうとすることや、それと同時に医療従事者の心身の安全を、何としてでも維持しようとすることは、「働きやすく、働きがいのある職場」をぎりぎりまで何とかして維持しようということだと思うのです。 

 

3.「働く(人たちの)コミュニティーとしての職場」を「幻想」にしないために…

  

 「コロナ下(渦中や禍中)」という現実においても「働きやすく、働きがいのある職場」を維持しようとすることは、現実的で切実(「何とかしなければならない」し「何とかできる」)マネジメントの課題であると思います。

 

① 働くうえでの目的観や価値観を見失なっては(見失わせては)ならない。

 

 働く人たちにとって「働く(労働)」ことは、「賃金を得る」こと以上に、それぞれに「人間的・社会的な目的や価値を実現する」ことであるはずです。それは働く人たち自身の「自己実現」も含め、もっと普遍的な「人間らしさの実現」であるはずです。

 

 先日、コロナ下のある医療現場で、看護師さんが「患者さんと人間らしい触れ合いが出来くなった」、別の看護師さんが「もう何のために何をしているのか分からない。」という深い悩みを吐露しておられました。

 

 「働く目的や価値」したがって「働く動機付け」こそ、「働く人たち」が失ってはならない(失わせてはならない)「働く(労働)」ことの中核的な意味なのです。現場知らずの精神論は厳に慎みながらも、足元の現実を支える物心両面の支援が必要です。

 

② 足元の安全と安心を見過ごしてはならない。

 

 マズローの欲求五段階説に待つまでも無く、人間にはまさにその「足元に」に強固な岩盤のような生存欲求や安全欲求があり、これ無くしては親和も尊厳も実現も成長も成り立ち得ないのです。

 

 政府の「働き方改革」のひとつの目玉が「医師の時間外労働の規制」であったはずですし、たとえコロナ下であるとは言え、例えば「月間100時間以上の時間外労働」を常態として医師に強いることは到底「人間的」だとは思えません。

 

 また、「医療安全」と「感染防止」はあらゆる医療現場においてコロナ下であればこそ絶対的な命題ですので、労働基準法や労働安全衛生法が定める基準は、まさにコロナ下においても何としてでも確保しなければならない最低条件であると思います。

 

③ マネジメントの機能とコミュニケーションの機会を見失ってはならない。

 

 組織マネジメントの基幹的機能は、「デシジョン(何が正しく、どうすべきか、目的観と価値観に基づいて選択する)」と「オリエンテーション(それ明確に指し示す)」と「モチベーション(それに向けて動機付ける)」であると、筆者は信じます。

 

 組織や職場が危機的な状況であればあるほど、上記のようなマネジメントの「真価」が問われ、また、それを機能させるための上下左右の「コミュニケーション(人体で言えば神経系や循環系)」の機会と手段を見失ってはならないのだと思います。

 

 また、「モノが言える時間と機会と手段」と「モノが言いやすい組織や職場」は、いかなる状況の組織や職場においても、マネジメントとして「何としてでも確保すべきこと」のひとつだろうと思います。

 

… そのようにして築かれる組織や職場が、「働く人たちによるコミュニティー」だと、筆者は思います。それを「幻想」にしてはならない。働く人たちどうしで、地に足のついた、足元の現実にしなければいけないし、できるのだと思います。