…かみ合わない会話はなぜかみ合わないのか…というのがこのコラムのテーマです。
1.嘘を言う(事実を事実としない)から
事実と異なることを言い合っていても会話は成り立たない。好きか嫌いか、有利か不利か、好都合か不都合かに関わらず、客観的な事実を事実として前提としなければ、会話が成り立たない。
2.モノを知らずにモノを言うから
会話のテーマについて何も知らなければ会話は成り立たない。知らないこと知らないと言わず(言えず)、知っているかのように話そうとするから意味が通じず、会話が成り立たない。
3.事実関係と問題意識が交わらないから
「見えている世界が違うんですね…」という言い方が的を得ていると思います。何をどう見ているか、過去から現在まで、また将来に向けて、何が見えていて、どう感じているのかが違うののです。
筆者がもっと身近に感じることは、「だったらその人のものの見方や考え方を知るうえで、その人が書いたことを読み、言うことを聴いているか、といえば、ろくに読みも聴きもしないことが多いようにも思います。
4.論理がかみ合わないから
「AはBですか?」と質問しているのに「CはDです。」と答えても会話にはなりません。「AとBについて答えて下さい」と言っているのに「Aは~です。」とだけ答えてもダメです。「ひとつの問いにはひとつの答え」が基本。
「ひとつのことを聞いて多くことを知る」のは良いかも知れませんが、「ひとつのことを聞かれて聞かれてもないことを喋る」のは困ります。わからないことや知らないことには謙虚でなければならないでしょう。
そんな当たり前のことが、実は、社会人・職業人どうしの会話でも多い。相手の言い分を聴かず、分からずに、黙り込んだり、自分本位の弁舌を延々・滔々と垂れ流すから、対話がかみ合わず、続かず、途絶えてしまうのです。
5.かみ合わない会話の例
例_モノを知らずにモノを言う。
通りすがりの100人に聞いてほぼ100人が正答できることは説明を必要としない当然の前提として会話をして良いはず…のところが、実はそうではないかも知れない。
例_相手の発言を聴かずにモノを言う。
相手が「何を知りたいか?(何が分からず、知らずに困っているか?)」をろくに聴かずに答え始め、相手にとっての目的や価値からどんどん遊離する。
例_相手の資料を読まずにモノを言う。
資料に書いてあることをわざわざ読み上げるだけの話者と、資料に書いてあることをろくに読まずに意見を言う論者。
例_相手が意図を分からずにモノを言う。
相手には困り事や悩み事がある、分からずに困り、知りたいとう意図や目的や求める価値がある。それを軽視・無視して答えてはならない。
例_相手の問いに答えずにモノを言う。
質問と回答は1対1に対応させなければ、せっかくの質問も雄弁な回答も無駄になる。意見と回答は一旦別立てにるのが良い。
例_相手の発言を用いずにモノを言う。
自分が言いたいことが相手の口から出てくるように対話するのがベターコミュニケーションだと思う。もっと相手が言ってくれたことは引用・援用すべき。
例_相手の理解を確かめずにモノを言う。
相手の眼を見て、相手の理解や共感を確かめながらモノを言うべき。自分の1回の発言は2分以内にして、その都度相手の理解や共感を確かめたい。
例_相手の発言を待たずにモノを言う。
相手も言葉をあれこれ選びながらモノを言ってくれているのだから、「何を言っているか」ではなく「何を言いたいか」に心耳をすますべきでしょう。
例_ファクトやロジックを無視してモノを言う。
どういうファクトに基づいてモノを言っているかわからない、なぜそういう結論になるのかロジックがわからない。発言の意図や目的が分からない。
例_相手への思慮や配慮なくモノを言う。
ただし、ファクトとロジックだけで全てが通じ、伝わるわけではない。相手には快不快、好き嫌い、その他さまざまな状況や感情があるのだから…。
例_相手を見下してモノを言う。
相互に「リスペクト」がなければいかなる人間関係も、コミュニケーションも、成り立ちません。
例_相手のナラティブを無視してモノを言う。
ナラティブは相手にとっての「歴史」であり「物語」であり「世界」です。「ファクトとロジック」だけで相手のナラティブは満たされてはいません。