多くの働く人たちにとって「働く」ということの意味は、「労務に服して賃金を得る」という近代資本制のもとでの「賃労働」を超えるものではないように思います。もちろん筆者はそのこと自体を否定するつもりはないのですが…。
自分自身の「生き方」「働き方」を考える場合に「労務に服して賃金を得る」という働き方に留まることが「働き方改革」だとは到底思えないし、「組織」や「指揮命令(他律)に服して」賃金を得ることが限界だとは全く思えません。
むしろ、労務に服し、組織に服し、他律に服することから脱却しようとすることこそが「生き方」と同じレベルで言う「働き方」改革のエネルギー源ではないかと思うのです。もっと自律的に、もっと人間らしく働こうとすること…。
それに連れて、実は働く人たちの「組織」のあり方も変わってくる。もっと自律的・人間的・社会的な働き方や、そうした働く人たちや、ともに生きるひとたちのコミュニティーの創生こそが「働き方改革」の本質だと思うのです。