ネットに氾濫する二次主義に辟易です…
1.ファクトもロジックも借り物の二次主義にはなじまない…
ものを考えたり言ったりする際に「ファクトとロジック」が最も重要なのは当然ですが、ネットに溢れる情報には、その肝心の「ファクトとロジック」でさえ「コピペ(自分で調べも考えもしない引き写し)」が多いように思います。
2.歴史さえ書き替えることができる…?
かつてわが国が米国相手に戦争をしかけたのはなぜかって…直接的には米国が経済封鎖という戦争をしかけたから?…確かにそういう「ファクトとロジック」の選択の仕方も、一次資料と一次思考を尽くせば出てくるのでしょうか…?
また、真珠湾攻撃に限って言うなら、英米同盟国がそれを誘導した(英米としてはインド方面への日本軍の侵攻を何としても阻止したかった。だからこそチャーチルは日本軍の真珠湾侵攻の報に歓喜した…。)
「賢者は歴史に学ぶ」と言われますが、実は「日米開戦」に限って言えばチャーチルはルーズベルトと二人で歴史を作り、続いてトルーマンは「大東亜戦争」をひたすら日本の軍国主義に帰責するために歴史を塗り替えてしまった…!?
もちろん「それはなぜ?」さらに「それはなぜ?」さらに「それはなぜ?」と問えば明治維新と遅れて出てきた帝国主義と、ファクトとロジックはほんとうに複雑に絡み合っているからこそファクトとロジックなのですね…。
3.もはや自らが一時的なファクトに接することが極めて困難であるとしたら…
ファクトとロジックにはとことん謙虚に…。塗り替え書き替えの二次資料に安住せず、少なくともファクトはとことん一次資料に近いところまで調査し、ロジックはとことん自他の一次思料を謙虚に尊重したいと思います。
ネットに氾濫する商業主義に辟易です…
1.何のために(どういう目的や価値を実現するために)働くのか?
筆者は今はもう公務員ではありませんから国民や住民の平和や幸福のために働いているわけではありません。しかし、自分の私的利益のためにだけ働いているわけでもなく、私的利益が私の働きに連動しているようにも感じません。
資本は利潤のためにだけ運動し、結局はその所有者の私的利益のためにだけ働いているように定義されていますが、「社会資本」という言葉があるように、現実には私的資本であっても社会的価値の実現には大いに貢献しているはずです。
2.ネットに氾濫する「売らんかな」の商業主義
…でも、インターネットでどこかのホームページを開いたとたん目に飛び込んでくるは、「売らんかな」の商業広告と「二次的で伝聞的で断片的な情報」の氾濫です。(「そんなことは聞いていないよー」なことばかり…。)
少なくとも筆者には商業主義には馴染みません。芸術家でも文筆家でもなく、有名になりたいわけでもないので、自分がリアルに働いて、問題をリアルに解決して、相手がリアルに喜んでくれて、何がしかの生きる糧が得られれば…。