29210803_「分かり合える」職場

「分かり合えなさ」からリスタートして「分かり合える」職場に…

 

「価値観を共有する」という言葉は、現実的には「空虚(絵空ごと)」かもしれない。現実にはせめて「他者の価値観を阻害しないこと」「価値観を認め合い・共存させあうこと」「価値観を重ねあうこと」でしょう。。。

 

1.分かり合えなさを認め合って毎日そこからリスタートしよう…

 

 なぜ「分かり合えない」かって、「他人(他の人)」だからです。自分とは観え方も考え方も来し方も異なる、もうひとりの「人格」だからです。そう間単に共感も共鳴も共有もできないし、お互いの自己肯定や自己尊厳や自己実現はそう簡単には譲りません。

 

(「挨拶返事もしない」人たち…)

 

 先日セミナーで参加者の方から「職場の中の困った人たち」の事例のひとつに挙げられたのが「挨拶も返事もしない人」でした。「相手の(を)人格として認めたくない」という心理(そのようにして自分の人格を保持したい?)が働くのでしょうか…。

 

 それでもそれにめげずに…それぞれの思いを手繰り寄せ合わせ、擦り合わせ、紡ぎ合わせて何とかしてひとつのことを作り上げ、やり遂げようとするのが「職場」であり「仕事」であると思うのです。

 

 せめて挨拶と返事をしましょう。何気ない会話をしましょう。雑談をしましょう。自分の興味や自分の言葉だけで話すのでなく、相手の興味や関心や言葉で優しく話しかけるようにしましょう。

 

2.キーワードを重ね合わせる…お互いの思いの断片を言葉にして重ね合わせる

 

 結局のところ、それは、対話的なコミュニケーション、お互いの、キーワード(それぞれの思いや価値観が載った言葉…論理的でなくて良い、感覚的な段階で良い、未だ言葉になり切っていなくて良い、そう、そういう断片的な思いを口に出して言ってみて…

 

(「言葉が足りない」人たち…)

 

 先日ある顧問先の理事さんのひとりから「あなたとは議論しないがあなたとは考えが違う」という趣旨(論拠は不明)のメールが来たので、当面「静観」しようと思います。今 は何を言ってもその人の凄まじいほどの自己肯定欲求にはかないません。

  

 別の顧問先の、周囲との仕事がうまく進まないある専任職さんからは、「しばらくそっとしておいて欲しい」という趣旨(論拠は不明)のメールが来たのでこちらもそれっきりで

す。

 

 それでもそれにめげずに、何か「いいね!」と思える・言える断片を、お互いの「分かり合えなさ」から発出される、断片を、重ね合わせて行くような対話から、ようやく「分かり合える」断片が一つ二つ…と紡ぎ合わされて行くの、かも知れません。

 

<追記事項>

 

 「AはBですね…」と言っているのに「CはDですね…」と言っていては「話が合わない」のも当然ですが、よくある「対話」事例のひとつでしょうか…なぜ相手が「A」を言うのにわざわざ「C」を言おうとするのか、もうそこから「分からない」です…。

 

 でも「対話」って、そのたびに、めげずに「そこからリスタート」するしかないんでしょうね…わざわざ相手を「否定」することで自分を「肯定」することは止めよう、相手を「肯定」することで同時に自分が「肯定」されるような対話をしたいと思います。