20210822_実は歴史に学べていない?

 

<追記事項_20210912>

 

 自分がその状況におかれたら到底できもしないような一般的で抽象的なあるべき論に陥ることは、謙虚に「歴史に学ぶ」ということとは全く真逆の態度だと思います。「歴史」とはもっとのっぴきならない中での必死の選択であったはずだと思うのです。

 

1.賢者は歴史に学ぶ…

 

 「賢者は歴史に学ぶ(愚者は経験に学ぶ)」という歴史上の偉人の言葉がありますが、それはさすがに自らが歴史を創り出すほどの見識と力量のあった偉人ならではの言葉であったろうと思います。

 

 また、歴史に学ぶ上では「第一次的な史料を重んじる」べきであることも、多くの識者の言うとおりだと思いますが、その第一次的な史料でさえ、本人によって書き換えられることが多く、ひと言で「歴史に学ぶ」と言ってもそう簡単なことではなさそうです。

 

2.歴史は決して「ひとつ」ではない…

 

 例えば先の大戦(「太平洋戦争(大東亜戦争)」)の歴史は、「一部軍部の暴走」として多くの識者によって語られることが多いと思うのですが、「アジアを欧米の植民地支配から解放する」という意義があったと指摘する識者も少なくありません。

 

 現在の社会や国家の現実と同じように、歴史上の社会や国家が「ひとつ」の史実や史料や観点から語り尽くせるはずもなく、「歴史に学ぶ」と言っても、それはおそらく「現在に学ぶ」ことよりよほど難しいだろうと思います。

 

3.何のために「歴史に学ぶ」のか?

 

 また、「歴史に学ぶ」ことの意義は、例えば当時の判断や選択や行動が「誤っていた(~すべきだった)」などと後から評論家のように言うことではなく、自分(たち)自身が現実の中でどういう判断と選択と行動を行うかということに重点があると思います。

 

 人間の判断や選択や行動は、おそらく、完全合理的などではありえず、当時のあらゆる状況や条件においては、常に制限的で部分的に合理的であったのだろうと思います。(だからと言って自分(たち)自身が同じ判断や選択や行動をすべきだとは全く思いませんが…)

 

4.おそらく歴史上の誤りは少なくとも部分的には繰り返されるだろう…

 

 戦争(武力の行使)によって(国家間・民族間の紛争を)解決するという判断と選択と行動を二度と決してしない、という「約束」は、未だに世界の(実は我が国の)標準にさえなっていません。

 

 おそらく自分(たち)は、今後、自分(たち)自身が現実に国家間・民族間の紛争に巻き込まれたときに、あれこれと自己保全的・自己肯定的な言い訳や逃げ口上を唱えながら、戦争(武力の行使)という判断と選択と行動を再びしてしまうのかも知れません。

 

5.実は未だほとんど歴史に学んでいない…

 

 自分(たち)自身の歴史上の判断と選択と行動は、既に行なってきてしまっているのかも知れません。極端に言えば戦争(武力の行使)による紛争可決という選択を、自分(たち)自身は、真に歴史に学ぶことなく、今までにすでに行っているのかも知れません。

 

 「戦争」という歴史だけでなく、「貧富」という歴史にも、自分(たち)自身は、まだほとんど学べていないようにも思います。「地球温暖化」という「(地球的)歴史」にも学ばないまま判断と選択と行動を行い、後世からその「誤り」を学ばれてしまうのでしょうか…

 

<追記事項‗20210824‗人事は…いまだに多くを経験に学んでしまっている?>

 

 これはまさに筆者個人の感想にしかすぎませんが、人事マネジメントはいくらかは歴史に学び、科学(行動科学や社会心理学…)に学ぶところが多いとは思うのですが、やはり多くはそれぞれの経験に学ぶことが現実には多いように思います。