20211122記
「部分対象関係と全体対象関係」は心理学用語ですが、人事にも応用できます。相手や周囲との人間関係の形成を、自分本位の限られた思いに限るか、相手や周囲に対する継続的な受容と理解のもとに形成するかの違いです。
1.要は、相手を「人(ひと)」として全体的に見るかどうか…
人は(特に社会的な未成熟期間には)、要するに「自分の欲求を満たしてくれるかどうか?」で対人関係を形成しているように思えます。実はそうした「未熟性」は、社会人・職業人・組織人においてさえ残念ながら見うけられます。
<それが「自分の欲求を満たしてくれる」人(対象)であるかどうか…>
・ 自分を理解してくれる人
・ 自分を評価してくれる人
・ 自分の都合に合わせてくれる人 … ???
しかし、「人(対象としての人間)」はお互いに相手の都合の良いようには存在もふるまいもしませんので、そこに気付いて、ではどのようにしてお互いが理解しあい、協力し合う関係を取り結んでいくかを知るのが社会的成長です。
もっとも相手を「全体的」でなく「部分的」に見れば…つまり「人」でなく「物」として見れば、抑圧や収奪や搾取の対象にすれば封建主義や資本主義が「体制」として成り立つという「利点」があるのかも知れませんが…
2.企業内のパワハラも「部分的」人間関係から起きる…
「昔はパワハラなんか無かった」のではなく「昔はそうした言動や態度が、未だ社会的・法律的にパワハラとしては認識されなかった」だけです。今はそうした言動や態度がパワハラとして指弾されるようなレベルに社会が成長した?
パワハラが生じる人間関係において特徴的に見受けられることのひとつは、その人間関係が「部分的」であることです。自分の欲求を満たしてくれる対象としてしか相手を見ず、関係を築けていないことからパワハラが生じる…。
<続く>