20220904記
1.そもそも「懲戒権」そのものに納得が行かない。
企業や使用者に懲戒権があるということが筆者には今ひとつ納得が行かない(りと飲み込めない、気持ちが悪い)のです。公権力でもない使用者が、なぜ懲戒などという、場合によっては人の自由や人格や名誉にかかわることを平然と行えるのか?
雇用契約の一方当事者たる企業や使用者が、債務を誠実に履行しない労働者に対して行いうる最大の不利益が解雇(雇用契約の解除)であることはむしろ納得が行くのですが、そのほかに私的制裁のようなものがあるということに納得が行かない。
個人と個人、企業と企業、企業と個人の間の一般的な有償双務契約なら、契約の一方当事者が、他方当事者の債務不履行に対して行いうる最大の不利益が契約の解除であるのに 、なぜ雇用(労働)契約関係には「懲戒」のようなものが入り込むのか?
それは雇用契約から出てくるものではなくて、その昔(筆者が法律学を学び始めたころ)の「経営権」や「人事権」という概念から出てくる、突き詰めて言えば企業の「所有権」や「支配権」から出てくると考えるほうが、理解しやすいと思います。
2.遅延なら催告、不完全なら受領拒否、履行不能なら契約解除をすれば良いはず。
つまり今さら「経営権」「人事権」「所有権」「支配権」を持ち出すまでもなく、もっと「契約の原則」に沿って考えるなら、雇用(労働)の本旨履行を行わない当事者たる労働者に対して「懲戒」以前にとるべき対応があるのではないかと…。
「雇用(労働)契約」の本旨は「労務を提供して賃金を得る」ことなのですから、履行が遅れているなら催告をし、不完全なら労務の受領を拒み、労働者の帰責事由でどうしても履行しない・履行できないなら契約解除をすれば良いはずです。
上司の指示命令に従わず、組織規律を乱した、事業活動を阻害した、というなら、それは雇用(労働)契約の不完全履行のひとつなのですから、そんな履行は受領を拒否し、再度の完全履行を求め、それが出来ないなら契約を解除すれば良いのです。
管理職の地位にある者がパワハラを行った、というなら、先ずはその地位から外すのは当然であって、出勤を停止して職場から外す(程度によっては企業から外す)ことも、懲戒の問題として行うのでなく、契約の不完全履行の問題として行えば良い。
さらにパワハラの相手側に損害が生じた、というなら、それは当事者間(当該管理者と被害者、または当該企業と被害者)の問題(被害者に対する債務不履行または不法行為による損害賠償の問題)として対応すれば良い。
そうした契約原理の上に、労働者保護のための修正原理があり、賃金と雇用の補償の問題があるのは当然ですが、筆者が言いたいことは、そこに、わざわざ経営者保護のための(?)原理を持ち込む必要が、本当にあるのか、ということです。
3.指導もせずに懲戒をするな。
ところで筆者のもとには企業側から「こういう懲戒をしても良い(違法・無効にならない)か?」という質問が多く寄せられるのですが、筆者がその度に企業側に聴くのは「採用から今までどんな指導をしてきたのですか?」ということです。
「採用」のことを今さら言うのは、「懲戒(特に懲戒解雇)をしなければならなくなるような人をそもそも採用するな」という意味です。採用こそ企業の権限と裁量の「砦」なのですから。
「指導」のことを今さら言うのは、「懲戒(特に懲戒解雇)の前に使用者として労働者に契約の本旨に沿った労務の提供(本旨履行)をどのように求めたのですか?」という意味です。(単に「適正手続」的なことを言っているのではありません。)
「採用」も「指導」もろくに機能させることが出来ないでいて、本人に本旨履行を求めることもせずにおいて、不完全履行や不履行や履行不能に対して行うべきことをせずにおいて、なぜ「懲戒(特に懲戒解雇)」などと言い出す(持ち出す)のか…。
4.労働者の自由や人格や名誉を侵してはならない
例えばパワハラという非違行為(者)に対して、公権力でもない企業が、応報や懲罰として懲戒処分を行うということ自体に、筆者は疑問を感じます。他の労働者の自由や人格や名誉を侵したことへの応報や懲罰を、企業が加害労働者に対して行う…?
応報や懲罰は、少なからず、対象者の自由や人格や名誉を侵すことになると思うのですが、そんな権限が公権力でもない企業に(就業規則に規定しさえすれば?)原理的に備わっている、とは到底思えないのです。
もちろん、企業は、パワハラによって労働者の自由や人格や名誉が侵されることを許してはならず、防がなければならない、だがしかし、そのために企業が、報復や懲罰として、加害者の自由や人格や名誉を侵害することがあって良いのか…?
企業が行うべきことは、たとえパワハラの加害者に対してであっても、懲戒(加害者の自由や人格や名誉を侵害すること)ではなく、あくまで雇用(労働)契約の本旨履行を求めることであると思います。
企業が出来ることは、企業が使用者としての責任と義務(採用の責任、指導の義務、雇用の義務)を尽くしてもそれが期待できないときにはじめて、懲戒処分としてではなく、出勤停止や普通解雇によって労務の提供の受領を拒むことだと思います。