20221011記
1.「忙しい」人は、ほんとうに「忙しい」のか?
売れっ子のタレント並みに(?)例えば会議のスケジュールを調整すること自体がひとつの仕事になってしまうような人がいます。ほんとうに忙しいなら、秘書やマネージャーを置くほうが良いと思いますが…。
仕事が早い人はほぼ常に仕事が早く、遅い人はほぼ常に遅いようにも思います。例えば仕事の期限や会議の時間を、ほぼ常に守る人とほぼ常に遅れる人がいます。それは仕事の量や質や能力の問題より、仕事や生活の習慣の問題だと思います。
「忙しいから」という言い訳が多い人と少ない人がいます。両者の間に仕事の量や質、仕事の経験や知識や能力の差が無い場合でも…。「忙しいから」という言い訳を自分に許し、他者に転嫁する(?)のは、「いかがなもの」でしょう!?
2.今人概ね口に多忙を説く…
今人おおむね口に多忙を説く
その為す所を視るに、実事を整頓するもの十に一二、
閑事を料理するもの十に八、九、
又閑事を認めて以って実事と為す。
宜(むべ)なりその多忙なるや
志有る者、誤りてこの窠(か)を踏むことなかれ。
上記は「佐藤一斎一日一語」(致知出版社)からの引用です。「忙しい」と言う言い訳をするときほど、ものごとの本質も緩急も軽重もわきまえず、どうでもいいことや無駄なことに時間を費し、肝心なことを後回しにしてしまいがちです。
3.常にゼロベースの見直しを…
極端な喩えですが、いったん始めた戦争を止めるには、戦争を始めたときに費やしたエネルギーの、何倍ものエネルギーを要する。しかし、そのエネルギー(意思決定と合意形成、自己責任の完遂に費やすエネルギー)こそが平和と解決をもたらす…。
仕事は戦争ほどではない、かも知れませんが、基調で有限な資源(特に人的資源)を費やして目的を達することではありますので、その意義や目的を常にゼロベースで見直す必要はある、と思います。
つまり、「忙しい」という言い訳になっている仕事が「本当に必要か(しないとどうなるか)?」「何のためか(同じ目的なら他の方法はないか)?」「その人がやるべきか(他に適任者はいないか)?」を常に考えてパワーを適正に配分すべきです。
4.「遅いほう」に合っているタイミングを「速いほう」に合わせ直す。
そうした見直し自体が「忙しくて出来ない」というなら、もはや「何をか謂わんや」ですが、月に1日でもいいから何とか時間を作って自分自身の仕事のタイミングを「遅いほう」から「速いほう」に合わせなおす機会を設けるべきです。
「忙しい」と言っても、100も200も仕事を抱えているわけではなく、今抱えている仕事をリストアウトしてみると、せいぜい20~30項目程度になるのではないでしょうか?(緊急度・重要度の高い順にランク付けて見ると良い…)
ちなみに「管理監督者」が「忙しくて~できない」と言い訳することほど筆者にとって「腹立たしい」ことはなく、例えば「忙しくて人事評価や目標管理に手が回らない」と言う言い訳を聞くと、とても「情けない」思いがします(私感)。
5.判断し、目標を定め、PDCAにスイッチを入れる。
いつも「忙しそう」にしていて、思うように・思うところに「手が回らない」人の中には、ひとつひとつの仕事を、その場できちんと判断せず・仕上げず・片付けないままに次の・別の仕事に追われる…という悪循環に陥っている人がいます。
ひとつひとつの仕事にきちんと判断を行ない、指示すべきを指示し、手配すべきを手配し、委ねるところを委ね、目標状態や目標成果を定め、段取りをつけ、PDCA
にスイッチを入れないと、いつまで経っても「仕事に追われる」でしょう。