20230303記
1.利己的にふるまう人、利他的にふるまう人
ここで言う「ふるまう」とは、その人の感じ方や考え方や処し方の全体を言います。その意味で「人は利己的にも利他的にもふるまう」と私は思います。例えば稲盛和夫氏や中村哲氏は、きっと言行一致の「利他の人」であったに違いないとは思います。
かくいう私自身は、もちろん、きわめて卑小な「利己の人」にすぎないと自覚したり反省したりしています。結局のところ「自分がかわいい」ほうが先に立ちます。「自分が得をする」ことや「自分が楽をする」ほうが好きです。
それでもできるかぎり「相手にとっての幸せが同時に自分にとっての幸せであるような幸せ」を「人間らしい幸せ」として追求しようと、心がけて、感じ方や考え方や処し方を選択しようとしているつもりです。
2.利己的な人間をモデルとするか、利他的な人間をモデルとするか?
たとえば経済学という社会科学は、どちらかというと「利己的」にふるまう人を「モデル」にしているように思います。特に経済現象を計量したり予測したりする場合は経済的に利己的な選択をする人を「モデル」にしているように思います。
株価もきっとそれぞれに全く利己的な選択をする人たちがそれぞれの利益や情報や予測や意図に基づいて売り買いをすることで、まるで自然現象のように変動するのだろうと思います。(利他的に株式を売買する人のモデルは成り立ちにくいと思います。)
では人事労務マネジメントは…「人は利己的にも利他的にもふるまう」ということ(同じ場面でも何割かは利己的にふるまい、何割かは利他的にふるまう。ことと次第によりますが、それを事前にどの程度「読める」かが大事だと思います。