20210808_好きな仕事と嫌いな仕事

 

 本稿は、「仕事への動機付け」の問題(考察)のひとつです…「好き」にも「嫌い」にも理由があるはずなので、「好き」の理由を活かせばますます「好き」になるし、「嫌い」の理由をつきつめればそこに超えられる壁が見えてくるかもしれない…

 

<追記事項_20210816>

 

 「嫌い」な仕事には、何か(合理的なまたは不合理な)その「理由」があるはずです。ただ単に「嫌い」で終わらせずに、なぜ「嫌い」なのかを自分自身に問い直してみると良いかも知れません。それを「超えるべき」かどうかはその後で判断すべきです。

 

 仕事がなぜ「嫌い」なのか?

 ・ 仕事を自分で選べないから…?

 ・ 時間を自分で選べないから…?

 ・ 場所を自分で選べないから…?

 ・ 内容を自分で選べないから…?

 ・ 方法を自分で選べないから…?

 ・ 相手を自分で選べないから…?

 ・ 対価を自分で選べないから…?

 

 結論的に言えば、「労務(他者による指揮命令)に服して、その対価としての賃金を得る」という「仕事」に留まるかぎり、仕事そのものやその時間も場所も内容も方法も相手も対価も自己選択・自己決定・自己管理できません。

 

 しかし、「仕事」をする上での成長段階を経る中で、「仕事」に対する自分自身の自己選択・自己決定・自己管理の幅を拡げることは出来ます。「仕事」に対する知識・能力や自律性を高め、他者による指揮命令から脱し、「嫌い」から脱出することも相当程度可能です。

 

 つまり、上記以外の要素として、「自分で選べる」要素がある。おそらくそれのひとつは「仕事」に対する知識・能力および態度です。「仕事」に対して自律性を獲得しようという態度だろうと思います。どんな「仕事」でも、実は同じです。

 

 しかし、究極的には、その「仕事」が、十分に自分自身の知識・能力と自律性のもとに置かない限り、そうしてその「仕事」を、十分に自分自身の選択と決定と管理のもとに置かない限り、「嫌い」から十分に脱することはできないでしょう。

 

<以下原文>

 

1.仕事を単純に区分すると…

 

                好きな仕事 (どちらでもない) 嫌いな仕事

                得意な仕事 (どちらでもない) 苦手な仕事

                したい仕事 (どちらでもない) したくない仕事

 しなければならない仕事(1)                 

 しなければならない仕事(2)                 

 しなくてもいい仕事                      

 してはならない仕事        N       N       N

 

 しなければならない仕事にも二区分あるでしょうが…

 

 実は上記の「しなければならない仕事」にも二区分あって…

 

 (1) その仕事の目的や意義や必要が誰の眼にも明らかであるという意味において…

 (2) その仕事をすることが他者から強制され、義務付けられているという意味において…

 

 「好き」でも「嫌い」でもない仕事もあるでしょうが…

 

 好きでも嫌いでもなく、「どちらでもない」仕事もあるでしょうし、「好き」か「嫌い」かではなく、「得意」か「苦手」か、「したい」か「したくない」かという区分があるでしょう…

 

2.「嫌い」な仕事を嫌々無理にしなくて(させなくて)良い…

 

 嫌い・苦手・したくないのは何の問題か…に応じて、つまり、それが能力の問題なら…できるように訓練すれば良いが、それが資質の問題なら、または、それが指向の問題なら…無理にしなくて(させなくて)良い…と筆者は思います。

 

 ましてそれがしなくても良い仕事ならなおさらで、企業の合理性から言えば「しなくても良い仕事」はむしろ「してはならない仕事」でさえあると、筆者は思います。「してはならない仕事」は、組織の目的や価値(および人間的・社会的正当性)の観点からの判断です。

 

 人と組織の動機付けを維持向上する観点から、今現にしている仕事がその個人と組織と社会にとって、冒頭に掲げた図表のAからI、またはNのいずれに該当するかを、折に触れて振り返ってみる必要があると思います。