20200326_戦争と人間

 

1.なぜ戦争が無くならないか?

  

 ひとりの人間としての天性と良心を信じ、せめて素朴な思考と感情を捨てず、謙虚に歴史に学び、常に最善の態度と行動を主体的に選択するならば、少なくとも他の国家や民族に属する人間を「敵」と呼び、「戦い争う」ようなことを、誰もしないはずです。

 

 「国家の名誉と利益」が「外交の要諦」では既になく、日本国憲法にいう「諸国民との協和による成果」や「平和を愛する諸国民の公正と信義」を引き出す努力こそが「外交の要諦」でなければならないはずです。それが単に理想ではなく歴史的な教訓です。

 

 しかし、歴史上多くの戦争が、実は「正義」や「民族」や「平和」や「自由」や「人命」のためにさえ行われきたことに鑑みれば、「平時に平和を唱える」自分の口が「戦時に戦争を唱える」口に豹変するかも知れないという自覚的な恐れは常にあります。

 

 歴史に学べば、戦争の原因は、戦争のときではなく、平和のときにあります。ファシズムの原因は、民主主義にあります。戦争やファシズムを防ぐには、平時にこそ「絶対平和主義」を貫き、「永久民主主義」のための変革を続けることが必要です。

 

2.国家や組織を言う以前に、ひとりの人間としての、素朴な感情や思考を捨ててはならない。

 

 戦争は、国家の名の下に(しばしば「正義」や「民族」の名の下に)ひとりひとりの国民の、最もベイシックでピュアな、人間的で、素朴な感情(たとえば「可哀そう」という感情)や思考(例えば「人として正しい」という思考)を捨てることを強います。

 

 いや、平時でさえ、国家や組織や制度や法律や規律などというものは、個々人のベイシックでピュアな感情や思考を停止したり、制限したり、他に委譲したりすることを、気付かないうちに強いるものなのかも知れません。

 

 個々人が、その感情や思考に基づいて自分自身の言動や態度を選択する「自由」という価値は、「平和」や「幸福」と同じように、おそらく人間が歴史的に闘い取ってきた最高の「人間的で社会的な価値」のひとつだろうと思います。

 

 資本主義も社会主義も、少なくとも理念的にはそうした人間の「自由」に最大の価値を置き、これを実現する制度のはずだったのに、現実的には、未だに「貧富」さえ克服できず、「戦争」さえ克服できていません。

 

 いかなる「主義」であっても、その名のもとに、ひとりの人間としての自由な感情や思考の発露を、停止も制限もしてはならず、もし、それを強いるような「主義」に対して、ひとりの人間としての自由の名にかけた、文字通りの「闘い」が必要なのでしょう。