20190213_組織が個人の足を引っ張る。

 

1.せめてトップランナーの足を引っ張るな

 

 「組織力を総合して…」「チームプレイで…」と抽象的に「言う」のは簡単ですが、現実的に「行う」のは至難です。むしろ「せめて先頭切って頑張っているトッププレーヤーの足を引っ張るな(やる気・うごきを削ぐな)」と言うほうがよほど「現実的」です。

 

 個々の人間は多かれ少なかれ(意識しようがしまいが)「自分が…」「自分が…」という「自己肯定」と「自己尊厳」の塊です。そうした個々の人間が「組織」を形成し、その「組織力(組織的であるが故の強さ)」を発揮することが可能でしょうか…

 

 せめてサッカーのパスと同じように、「自分の仕事の最善のアウトプットを他のメンバーの仕事の最善のインプットにする」ようにすべきです。他のプレーヤーがトッププレーヤーに必死で最善のパスをすることこそがチームプレイです。

 

 また、サッカーでは基本的なパスも出来ない選手や、最も足の遅い選手や、口だけ動いて手足が動かない選手に合わせて試合をするわけにはいかないはずですが、現実社会の組織では残念ながら必ずしもそうではありません。

 

 基本的な報告・連絡・相談も出来ない人、文書ひとつまともに書けない人、全てが「遅いほうにタイミングがあっている」ような人、もっともらしい一般的抽象的なあるべき論は言えるが、なにひとつ実行・実現できず、支持も信頼も得ない人…

 

2.組織的であるがゆえの諸弊害

 

 子どもたちのサッカーゲームにおいてさえ「やってはいけない(許されない)」チームプレイに反する行為を、現実社会の組織人たちが平然と冒しているような事例は筆者の身近にも多く存在します。

 

① 組織的であるがゆえの遅さ

 

 仕事の基本は「迅速・正確・丁寧」です。特に「速さ(早さ)は力」です。「速い(早い)だけで生かせるチャンス」(「遅い」から逃がすチャンス)はいくらでもあります。「トッププレーヤーのスピードに合わせる」以外に試合には勝てません。

 

② 組織的であるがゆえの無責任

 

 組織は「権限と責任の体系」です。管理職には指揮命令権があるからそれに伴う管理責任があるのです。ひとりの担当者にもその仕事の「正確・迅速・丁寧」さに遂行責任があります。組織において責任の無い人は誰一人いません。

 

③ 組織的であるがゆえの怠慢

 

 いわゆる「集団的サボタージュ」は社会心理学でよく知られている通りです。通勤路で人が倒れていても誰一人救助の手を差し伸べない。ひとりの人間としてなら当然行うべきことを組織的であるゆえに行わず、行わざるべきこと(モラルハザード)を行なう。

 

④ 組織的であるがゆえの危うさ

 

 いわゆる「組織的意思決定のリスキーシフト」もよく知られている通りです。戦争で多くの人による非人道的な残虐行為が行われるのは、それが「組織的な意思決定」だからです。ひとりの人間としての感性や良心を「組織目的」に没入してしまうからです。

 

⑤ 組織的であるがゆえの非効率

 

 組織的に最高に効率が良い状態とは、組織構成員ひとりひとりのベクトルがお互いに方向性を一致させ、重複なく連続している場合だけです。組織のベクトルは、ほぼ必ず構成員のベクトルの単純総和を下回ります。「組織的であることは非効率」なのが現実です。

 

3.組織と個人の最適関係のために

 

①メンバーシップ

 

 例えばサッカーで言う基本的なパス回しができるように、報告・連絡・相談ができること、正確・迅速・丁寧にボール(仕事)が処理できること、ラグビーで言う「ONE FOR ALL, ALL FOR ONE」が実践できること。

 

②リーダーシップ

 

 率先垂範。あるべきこと・正しいこと・行うべきことを判断・選択し、自らの言動と態度でメンバーに指し示し、それに向けてメンバーを方向付け・動機付け・支援すること。チームでいちばんつらい人。

 

③マネジメント機能

 

 同上。さらにそれを「人と組織を通じて」行うこと。加えて、「組織的であるゆえの遅さ・無責任・怠慢・危うさ・非効率」の弊害を生じさせないように組織全体に目配り・気配り・手当てをすること。

 

<追記>但し、「組織の論理」を「国家の論理」にしてはならない。

 

 企業や官僚の「組織」の論理や管理を、そのまま「社会」や「国家」の論理や管理にしては決してならない、と筆者は信じます。企業や官僚の組織原理は「一元制」であり、社会や国家の組成原理は「多元性」です。

 

 誤解をおそれず言えば、社会や国家は、もっと遅く、無責任で、怠慢で、危うく、非効率であって良い。それを許容する社会や国家であって良い。ひとりひとりの人間がそういう人間らしさを組織的に没却しない社会や国家が良い。

 

 概ね「正しい」ことや「効率的」なことほど人間を迫害しやすいことはない。(ナチスを想起すればすぐ分かる。)「真理はひとつ」ではない。「科学が万能」でもない。「企業が全て」では勿論ありえない。