20200322_人と組織の最適関係

 

01.人か組織か、ではなく…

 

 法律の世界では「人(自然人)」と「法人」を同格に扱うことが行われますが、それはあくまで法的な擬制(言い方、考え方)だろうと思います。実際には「人」と「法人」とは別次元の概念だろうと、筆者は考えます。

 

 その上で組織や企業の意味をあらためて考えると、組織や企業とは何らかの人間的・社会的な目的や価値を実現しようとする人たちによる協働体だというのが最も妥当で納得の行く定義だろうと思います。

 

 どれほど天才的で独創的な人であっても、たったひとりでは仕事はできず、ふつうに働く人たちの仕事の成果の質も量も、結局のところどれだけ多くの人と組織の理解と協力を引き出せるかにかかっているように思います。

  

02.そこに組織や企業が実在するわけではなく…

 

 組織や企業というものが人と同じような意味でそこに実在するとは思えません。そこに実在するのはあくまで働く人たちであって、敢えて言うなら、組織や企業を構成し、ともに働く人たちです。

 

03.人と組織が対立するとしたら…

 

 人と組織が対立しているように見えるのも、実際にそこで人と組織が対立しているわけではなく、組織に属する人と人が対立しているのであって、もっと言えば、ある人の組織的な考えや行動と、他の人の組織的な考えや行動が食い違っているだけです。

 

04.組織的であるがゆえの遅さや不合理や非効率…

 

 天才的な芸術家でもないかぎり(天才的な芸術家でさえ)、仕事には必ず相手がいるし、それを支える仲間がいます。たったひとりで仕事を完成することは出来ないし、多くの人たちの理解や協力が得られてこそ、仕事の成果が花開くのです。

 

 およそ組織や企業とは、何らかの人間的・社会的価値を実現するための、人と人との協働体(共同体)であり、ある人の最善のアウトプットが、他の人の最善のインプットになるように連鎖してこそ、結果的に最善のアウトプットが得られるのです。

 

 それを単に「チームワーク」と言っても「組織力」と言っても良い。共通の価値の実現に向けた問題意識と必要情報を、あたかも人体の血液のように組織全体に巡らせ、各器官の機能を最適・最大に発揮させることが組織や企業の活動です。

 

 そして、組織や企業を構成する人たちに向けて、どのような価値を実現すべきかを判断(デシジョン)し、指し示し(オリエンテーション)し、それに向けて動機付け(モチベーション)することが組織や企業のマネジメントシップの基本です。

 

 さらに、組織や企業の構成員相互が、それぞれの専門的な知見や能力を持ち寄り、啓発し合い、機能や役割を最適に分担し合い、組織や企業の目的や価値の実現にコミットしあうことがメンバーシップの基本であるはずです。

  

 ところが現実には、組織的であるがゆえの非効率や不合理が至る所に見え隠れしており、思わず「マネジメントとは組織の非効率や不合理を排除すること」と言いたくなるような状況です。

 

① 組織的であるがゆえの無駄

 

 誤解をおそれずに言えば、知的生産物を組織的効率的に作る際の鉄則は、「自分勝手に作らない」ことであり「人の生産物を活用すること」です。これは物的生産物では当たり前の常識です。そうでないと協働も共同も成り立たないのです。

 

 学術論文が「引用」を重視するのもその所以です。ところが一般的な企業や組織で行われる「会議や稟議(意思決定プロセス)」ほど、これに反するものは無く、どだい人の発言を聴かず、尊重せず、引用せず、何と非効率と不合理の多いことでしょう。

 

② 組織的であるがゆえの遅さ

 

 集団どうしで徒競走をする、と想像した場合に、それぞれの集団は、それぞれの集団の、いちばん速い人のスピードに合わせて走るのが良いのか、それともいちばん遅い人のスピードに合わせて走るのが良いのでしょうか?

 

 集団としての優劣を競うなら、答えは明白ですが、実際の企業組織では、意外にいちばん遅い人のスピードに合わせて走っている場面が少なくないように見えます。特にものごとへの理解や協力を引き出そうとするときほど、これを痛感します。

 

 「速さは強さ、継続は力」という言葉があります。「巧緻より拙速を重んず」という言葉もあります。早く回答する、早く提案する、早く~するだけで獲得できるビジネスチャンスはいくらでもあります。逆もまた真です。遅いだけで失う機会も多いはずです。

 

 トップランナーの立場や心境を想像して言うなら、「せめてトップランナーの足を引っ張らないようにしてほしい」だろうと思います。トップランナーのスピードに追い付けないのは当然かも知れませんが、せめてそのスピードを無駄にしないことが肝要です。

 

③ 組織的であるがゆえの怠慢

 

 組織的であるがゆえの「怠慢」、言い換えれば「手抜き」でしょうか。「自分ひとりくらい~しなくても良い」「自分ひとりくらい~しても良い」と思う人が多ければ多いほど、その組織の動きは悪くなります。

 

 その社会心理学的な理由は「綱引き理論(集団的サボタージュ)」として既に周知のとおりですが、企業や組織の中にはこれに類する怠慢や不正、あるいは責任回避や責任転嫁が、何と多いことでしょう。

 

④ 組織的であるがゆえの依存

 

 さらに言えば、組織的であるがゆえの他者依存、自律性の喪失・忘却・放棄。または、自らは思わず、行わず、ただ単に他人の行動を後からもっともらしく「批評」するだけ。結局は「組織」という名の「他人」に従属しているだけ…。

 

 もう一度、ひとりひとりの社会的存在としての人間に立ち戻って、何を目的に、どのような価値を、どのように実現するために、どのように協働するのが良いのか、思い、悩み、行動し…組織の半分(無駄)を捨て、組織の半分(意義)を取り戻したい…。

 

⑤ 組織的であるがゆえの不正

 

  組織的であるがゆえの不正の例は枚挙にいとまが無い状況です。なぜ個々人は健全な人格や謙虚な感覚を有するにもかかわらず、組織や企業になると(歴史的には「国家」になると)それが時として非人間的、反社会的な行為にまで立ち至ってまうのか。

 

05.人と組織の疎外関係から最適関係へ…

 

 いわゆる新卒採用、つまり、学校を出たばかりで、ひとりの社会人としても職業人としても未確立な個人が組織に属して仕事をしようとする場合は、その組織との関係が、どうしても依存的で服従的なものにならざるを得ません。

 

 また、単に「労務に服して賃金を得る」だけの働き方をしている人たちにとっても、その組織との関係は、どうしても依存的で服従的なものにならざるを得ず、きっと人と組織の関係が対立関係に見えるでしょう。

 

 組織とは何らかの人間的・社会的な目的や価値を実現しようとする人間諸個人による協働体であるはずなのに、組織への属し方が依存的で服従的なものであるとしたら、その人たちと組織との関係は、どうしてもよそよそしい、疎外関係に陥ってしまうでしょう。

 

 そうした疎外関係や対立関係は、新人がひとりの社会人・職業人として自分自身を確立していくことを通じて、また、「労務に服して賃金を得る」だけの働き方をしている人たちがそれに留まらない働き方をすることを通じてしか克服できないのではないでしょうか。

 

 その過程、およびその先には、きっと、最も良い意味において組織に属する、依存的や従属的でない属し方になる、ひとつの組織に身も心も属し込んでしまうのではなく、もっと自立的に対等に組織とかかわる、いい意味で組織的に働くことが待っていると思います。

 

06.本当の働き方改革とは…

 

 ひとりの社会人としても職業人としても未確立なまま、また、単に「労務に服して賃金を得る」だけの働き方のまま、組織に依存的で服従的な属している状態をそのままに、いったいどういう意味で「働き方改革」が成り立つのでしょうか?

 

 単に労働時間を短くしたり、休暇を多くしたり、ワークよりもライフを豊かにすることが、本当に「働き方改革」でしょうか。もっと働くことの目的や価値を高めること、その意味でもっと組織協働的により良く働くことが「働き方改革」ではないのでしょうか?

 

07.個人が動けば組織が動き、個人が止まれば組織が止まる…

 

 組織というものが人と同じような意味でそこに実在するわけではなく、そこに実在するのはあくまで組織的にふるまう人間諸個人です。そういう意味で、動くべき人が組織的に動けば組織は動くし、動くべき人が動きを止めれば組織は止まります。

 

 人の異同にかかわらず組織が存続すること、特定の人に依存し過ぎないことが組織の原理ではありますが、特に組織のキーパーソンが動くべきときに、個人の事情で動かないときは組織の動きはピタリととまります。 

 

 企業が動かない、不祥事さえ起こすのは、多くの場合、トップマネジメントが「聞いていない、分かっていない、動かない」からです。(それを責任の回避と転嫁の言い訳にする経営者や管理職がいるのは言語道断です。)

 

08.すべてを組織に没入してしまってはならない…

 

 ひとりの社会人・職業人として自己を確立しないまま、組織に依存して何とかしようというのは甘いし、危険だと思います。その状態で「働き方改革」を言うのは間違いでさえあり、言うなら「働かせ方改革」「働かされ方改革」でしかない。

 

 しかしもちろん、大多数の働く人たちは、組織に属しながらひとり社会人・組織人としての自己蓄積と自己成長を遂げて行くのですから、その意味では、「今はそれで良いかも知れないが今後ともそのままであってはいけない」のだと思います。

 

 危険なことは、そうしたひとりの社会人・職業人、いやそれ以前にひとりの人間としての人間らしい思いや考えや成長を、偶々属しているに過ぎない組織に、たったそれだけのことに、埋没させてしまうことです。

 

09.組織で仕事をする人には成長段階がある…

 

 これは筆者の長年の持論です。学校を卒業して社会人・職業人としてのスタートを切るところから考えれば、組織協働的に仕事をする上での、働く人たちの成長段階は、おおよそ次のような段階を想定できるでしょう。

 

 第一;遂行レベル;具体的な指示に基づいて正確・迅速・丁寧に業務を遂行する。

 第二;判断レベル;包括的な指示に基づいて判断力を発揮しながら業務を遂行する。

 第三;指導レベル;方針的な指示に基づいて指導力を発揮しながら業務を遂行する。

 第四;管理レベル;組織マネジメント又は高度の専門性を通じて事業に貢献する。

 第五;経営レベル;組織全体のマネジメントを通じて事業を推進する。

 

 つまり、組織の人事マネジメントの中で、働く人たちの成長の促進を考える際にも、適正な評価と処遇を考える際にも、上記のような、組織協働的に働く人たちの成長段階を想定すると考えやすいだろう、という意味です。

 

 組織協働的に働く人たちの立場から言えば、第三の指導レベルから第四の管理レベル、またはその先、第五の経営レベルに至る段階で、そのまま組織のマネジメントに進むか、自らの職業的専門性を高めるか、あるいは自ら起業するかの選択肢が見えてくるはずです。

 

 もちろん、その段階に至るまで、何もただひとつの企業や組織に属し続ける必要はないのですが、やはり少なくとも上記の成長段階を意識しながら、自分自身のキャリア形成を行う上での選択をすべきでしょう。

 

10.人と組織の最適なかかわり方…

 

 組織でも企業でも、それらは何らかの人間的・社会的な目的や価値を実現しようとするる協働体であるはずなのに、組織への属し方が依存的で服従的である限り、その人たちと組織との関係は、どうしてもよそよそしい、疎外関係に陥ってしまいがちです。

 

 つまり、ひとりの社会人・職業人として自立しないままに組織や企業に属し、「労務に服して賃金を得る」という仕事のしかた、働き方をしているかぎり、その人とその組織や企業との関係においては、対立や、場合によっては迫害さえ生じ得る、ということです。

 

 筆者は日頃、組織や企業のマネジメントの側に立って仕事をしていますが、経営側に求めるのはもちろん職員との対立の回避や克服ですが、同時に職員の自立の促進であり、このことは職員側への強い要望でもあります。

 

 労働運動は長らく時短や賃上げ、つまり、より少なく働き、より多く得ることを運動の目標や指針にしてきたように思うのですが、せっかくの働き方改革をその延長で考えるのでなく、もっと働く人たちの自立的な働き方の推進に向けても良いのではないかと思います。

 

 働く人たちが、組織や企業に属する中であっても、ひとりの社会人・職業人としての自立性を高めて行くことこそが、人と組織の関係を、疎外関係から最適関係に向けて推し進める最大のエネルギー源になると思います。