1.一義的Uniqueであることの「分かり易さ」
「分かり難い」話や文の特徴のひとつは、「言葉が一義的Uniqueでないこと」です。つまり同じ意味のことを言ったり書いたりするのに、言葉をあれこれ言い換えてしまっては「何を言っているか(何が書いてあるか)」分かりません。
「何について」話したり書いたりしているのかという「テーマ」や、「何が重要か」という「ポイント」が揺れ動き、「一義的Uniqueでない」場合も、「何を言っているか(何が書いてあるか)」分からない状態になってしまいます。
単純Simpleであることは分かり易く、複雑Complexであることや、曖昧Vagueなことや、抽象的Abstractなことは分かり難く、事実に即して明確Definiteかつ具体的Concreteに言ったり書いたりすることも分かり易さのために必要です。
その他、事実と意見・推測・解釈が区別されてなと、訳の分からない議論になってしまいますし、「1+1=2」という「数理」や「AならばBである」という「論理」を無視すると少なくともビジネスコミュニケーションでは通用しません。
✕:分かり難い話や文 ⇒ ○:分かり易い話や文
同じ意味なのに違う言葉を使う。 ⇒ 同じ意味なら同じ言葉を使う
テーマやポイントが不明確 ⇒ テーマやポイントが明確
一文多意 ⇒ 一文一意
曖昧 ⇒ 明確
抽象的 ⇒ 具体的
事実と意見の混同 ⇒ 事実の共有化、論点の明確化
1+1=2という数理を無視・軽視 ⇒ 1+1=2という数理に則る
AならばBという論理を無視・軽視 ⇒ AならばBという論理に則る
2.独自性Uniqueの確立
「組織の歯車で終わりたくない」と願うなら、実は「組織の歯車」であるうちに、自分自身を深耕して、組織を中から支配するか、自分をUnique(無くてはならない存在)にして組織と対等の立場に立つ力を得る以外にありません。
そして「深く耕すには幅が必要」です。企業の中で自分自身を深耕Cultivateして自分「らしさ」や「可能性」や「能力」というUniqueに現実的に達するにはStandardという広大な基礎や教養や修練の幅が必要なのです。
自分自身を深耕Cultivateするタイプには「I型」「T型」「V型」があるなどと一般的に言われますが、筆者は「逆ホームベース型(基礎をしっかり、先端を鋭く)」が最も好ましいタイプ(スタイル)であるように思います。
最初のN年(少なくても3年以上)は基礎の修練に徹する、そこからさらに何年かかけて自分自身の問題意識という掘削機を手に、自分自身の「能力」や「可能性」や「らしさ」を現実のものにするための深耕Cultivateを続けて下さい。
<独自性Uniqueと協動性Cooperative>
Uniqueであること(独特の、独自の、また、いわゆる「自分らしい」こと)であることと、協働的(および組織的・社会的)であることは、決して両立しないことではないし、そうであってはならないことだと、筆者は思います。
両者が矛盾・対立して見えるとしたら、それは、いずれかが未熟である証左で、個人の尊厳と公共の福祉が、また基本的人権と民主主義が、一見矛盾もしくは対立して見えるのが両者のいずれか(いずれも)が未熟であるのと同じです。
個人と組織や企業が矛盾もしくは対立して見えるかも知れませんが、組織や企業とは本来、個々人が何らかの人間的・社会的な目的の達成や価値の実現を行うための協働体であり、両者は本質的に矛盾・対立しません。
本質的には両者が矛盾・対立するはずがないし、そうであるのは両者のいずれか(いずれも)が人間的・社会的・歴史的に未熟である証左だと思います。Uniqueであると同時に協動的Cooperativeであることは、両者が成熟することで初めて実現可能です。