Education_自分自身から能力を引き出す

1.学校とは違う、企業におけるEducationの意味

 

 Educateという言葉は、本来「引き出す」という意味であって、少なくとも「教える」「育てる」という意味ではありません。たとえ、企業の「新人」に対してでさえ、いまさら何かを「教える」とか「育てる」という言葉が相応しいとは、少なくとも筆者は思いません。

 

 また、企業の中では、SD(Self Development 自己啓発)が「成長の促進」の中核であって、OJD(On the Job Development)がその中心であり、いわゆる集合研修などOff-JD(Off the Job Development)はそれらの補完手段にしか過ぎません。

 

 もちろん、企業の中にも「育成責任」という言葉があり、「部下の育成」が管理職の重要な役割のひとつですが、基本的に「育成責任」は本人自身が負うのであって、黙っていても上司や管理職が「新人」を「育ててくれる」わけではありません。

 

2.Educationの諸技法・諸階層

 

 ひと口にEducationと言っても目的(何を得ようとするか)によって技法が違います。技能を得るならTraining、知識を得るならTeaching、言動・態度・思考の変容を望むならCoaching、それ以前に心の安定を得たいならCounselingを選択すべきです。

 

       技能 ⇒ Training

       知識 ⇒ Teaching

       言動・態度・思考の変容 ⇒ Coaching

       心の安定 ⇒ Counseling

 

3.Educationで自分の何が変わる(何を変える)か

 

 Educationというのは、何らかのかたちで、自分自身の何かが「変わる」のでなければ意味がありません。「知識を得る」ことでさえ「知らなかったことを知る」ことであり、「技術を得る」ことでも、「出来なかったことが出来る」ようになることです。

 

 しかし、Educationで変えなければいけない(変えることができる)ことは、実は仕事上の知識や技術だけではなく、仕事をする上での「言動・態度やその習慣」であり、そのもとになる「考え方(思考パターン)やその習慣」であると筆者は考えます。

 

 比較的変容困難な要素

   気質

   パーソナリティー

 比較的変容可能な人格的要素

   言動・態度やその習慣

   考え方(思考パターン)やその習慣

 

 一方、「パーソナリティー」「気質」は、一生を通じてほとんど「不変」であると考えた方が良いでしょう。これを「変える」ことよりも、これを率直に自覚したうえで、そこから発する日々の思考や言動や態度を改める方が良いでしょう。

 

4.「仕事をする」上での成長段階

 

 「仕事をする」上での、以下のような「成長段階」を意識することが重要です。

 

 第一段階 : 具体的に指示された仕事を正確・迅速・丁寧に遂行するレベル

 第二段階 : 包括的・一般的指示に基づいて、自らの判断で仕事をするレベル

 第三段階 : 周囲から判断や指導を求められながら仕事をするレベル

 第四段階 : マネジメントまたは高度の専門性を通じて事業に貢献するレベル

 

 最初は「指示命令に従って正確・迅速・丁寧に仕事をする」こと、次に「自分なりに判断しながら仕事をする」こと、次に自分の判断が信頼を得て「指導しながら仕事をする」レベル、マネジメントや専門性を通じて事業貢献するレベルに達します。

 

 「仕事をする」ことを通じて「成長する」ということは、上記のような成長段階を順に辿ることです。いくら「年功」を積んでも、上記の成長段階に達しない限り、評価は得られず、「自己実現」には達しません。

 

<追記事項20160618> 人は既に知っている

  

 筆者が新人研修で新人諸君に「仕事を進める上でいちばん大事だと思うことは何か?」と問いかけたところ、返ってきた答えは「コミュニケーション」であり、「協調性」であり、中には「思いやり」というものまでありました。

 

 つまり、筆者が言いたかったことは、新人諸君は「既に知っている」のだということを、今更ながらに感じました。あとは、新人諸君が「既に知っている」ことを先ずはお互いに口に出し、文字に書き、共有化し、行動に移すだけで良いのです。

 

 さて問題は、新人諸君が「既に知っている」ことを行動に移す際に、おそらくはそうすることを阻む諸現実に直面するはずであり、ではそれらの諸現実の本質は何ものであり、どのように捉え、闘えば良いかということです。

 

 そうしたことを彼(彼女)ら自身が、彼(彼女)ら自身から「引き出す」=Educateすることが、学校教育における「教育」とは異なる、企業における「育成」=「人の成長を促進する」ということの本質であろうと思います。

 

<追記事項20160619> 人を育てない職業はない

  

 職業(仕事)の意義(何のために「働く」か?)が「労務に服して賃金を得る」という、いわゆる近代市民法的意義に留まっている限りにおいては「職業(仕事)が人を育てる」という言葉は彼岸の空文にしか過ぎないかも知れません。

 

 また一般的な労働の多くが「労務に服し、最低限の人間的・文化的生計を保つための賃金を得る」ことに留まっているのが現実であり、「より多くの賃金を得る」ことが多くの人々を動機づけているのかも知れません。

 

 しかし、「真にそれで良いか?」と問えば、多くの人々は「否」と答えるはずであり、「では何が?」と続けて問えば「より良い仕事(例えば自分らしい、例えば人の役に立つ、例えば・・・)をすること」すなわち「働く(仕事をする)こと」そのものへの動機づけを語るはずです。

 

 人間にとって「働く(仕事をする)」ということは、人間的・社会的な目的を達成したり、価値を実現したりするために、組織的・社会的に協働することであり、その意味で「より良い(より良く)仕事をする」こと自体が「働く人々」の根本的な動機付け要因であるはずです。

 

 「働く(仕事をする)」ということは、働く人々と、同時にそれに関わる多くの人々にとって、より高い目的を達成し、より豊かな価値を実現することであり、そのためにより良く協働することであり、そのことが「働く(仕事をする)人々」を育てずにおくはずがないのです。

 

<追記事項20160619> 自分の成長を実感するとき…

 

 「他に誇れることが自分にあるとしたら、それは自分が今まで、あれにもこれにも死ぬほど苦しんできたということだ」という言葉が、太宰治の作品の中にありますが、成長とは、まさに現実との悪戦苦闘と試行錯誤の果てにふっと感じる自己認識であるように思います。

 

 「考えることは悩むことであり、表現することは苦しむことだ」という言葉も、やや自虐的で気障りのようにも聞こえますが、そういう「悩み」や「苦しみ」の先にしか、「上達」や「成長」が無いのだと、筆者も同感です。

 

 「仕事をする」上での成長も全く同じで、やはり、一定の(できれば大きくコントロールされた)、悪戦苦闘や試行錯誤、紆余曲折や艱難辛苦と、それを「通り抜ける」ことが必要であると筆者は考えます。(それは決して「教室」や「机上」でできることではありません。)