たとえば「挨拶・返事・礼儀・感謝を欠かすな」や「皆で仲良く」「人のせいにするな」「言い訳をするな」という教えは、まるで母が子に教え諭すようなことですが、その多くは働く社会人の「職場」にも通じるように思います。
相手の言うことをきちんと聴き、自分の言いたいことをきちんと伝え、お互いの立場や事情や気持ちに配慮し合う…等々の教えも、それが「職場」で働く人たちに共有されているなら、現に「職場」で生じる問題の多くは生じなかったはずです。
コミュニケーション障害の問題も、パーソナリティー障害の問題も、お互いに母の教えが身に付いていれば生じなかったであろう問題であり、職場や本人が自ずと解決し、適応させて行けたはずの問題だったろうと思います。
しやがって職場のマネジメントとしては、家庭や学校がいわば積み残して行った問題があるとしたら、職場の管理者やリーダーたちが、それ(親や教師や隣人の役割)を受け継いで「何とかする」以外にないのだろうと思います。
20240910 追記
時には母ごころで聴いてみる
母親は、わが子の言葉だけを聴いてその情況を察知するのではないと思います。幼子は言葉だけではなく、あらゆる表情や態度や仕草や行動を総動員して、母親に多くのメッセージを伝えようとします。そこに原初的なコミュニケーションがあるのだと思います。
正岡子規の母親の言葉に「もういっぺん、ここが痛いと言っておみ(言ってごらん)」という言葉があったと思います。そうした母と子とのコミュニケーションこそ、コミュニケーションの原点だと筆者は思います。
社会人や職業人どうしのコミュニケーションは言葉と論理が主になり、相手の「言葉」の不備や「論理」の矛盾を攻撃するようなやりとりになってしまいがちですが、ときには「母と子のコミュニケーション」の原点に立ち戻ってみるのも良いと思います。