20230812 記
1.資本主義は人間を幸福にしたか?
人間は自然の一部であり、大自然のバランスやサイクルの中で生きているのにもかかわらず、「資本主義」は、人間が自然と対立し、自然を破壊・収奪し、やがては人間そのものを含めて破滅させかねない原理を持っているように筆者には思えます。
たしかに「資本主義」の個人主義的な経済原理や行動原理は、ほんのわずかな期間に驚異的な経済成長をもたらし、筆者自身も第二次世界大戦後の「高度経済成長」期に生まれ、その恩恵を受けて育ったのではあるけれど…
しかしそれは所詮、人間が自然から「自然の恵み」を超えて多くのものを人間本位に収奪して来たものであるにすぎず、現に例えば「地球温暖化」は大自然のバランスやサイクルを損ね、人間自身を滅ぼしかねない状況にあるように思います。
「資本主義」は、その時代においては人間性の解放であったはずですが、本来「人間」の幸福のための制度であったものが、逆に「人間」を不幸にし、破滅にまで追い込みうるという本質的な自己矛盾を抱えるものであるように思います。
だからと言って「社会主義」の歴史と現実を見る限り、それが「人間」の幸福のための制度であるとは、筆者にも到底思えず、あるべき経済原理や行動原理は、もっと「人間」や「自然」そのものの有り様に根差したものであるべきだと思います。
2.個々人の行動原理として…
(1)利己か利他か…
人間にとって利己主義と利他主義とでは、どちらが「幸福」なのでしょうか。「人間にとっての幸福は、人の幸福が同時に自分の幸福であるような幸福だ」と筆者は思うのですが、資本主義の原理は、基本的に利己主義だと思います。
もちろん資本主義のもとでも個々人は利他的な信念を持ち、利他的な行動をとることができると思います。社会主義のもとでもそれは同じで、せっかくの社会主義も、個々人が利己的に行動する限り維持できないであろうことは自明です。
(2)個人か組織か…
そもそも組織とは、人間や社会にとっての「価値(物質的・経済的な価値だけでなく、精神的・文化的な諸価値)」を協働的・社会的に実現するためのものであるはずです。そうであってこそより豊かな価値が実現されてきた…。
しかし、そうした組織や社会も、その存立や運営の原理の選択次第では、人間のためのものであったはずの組織や社会が、まさに組織や社会の名のもとに人間を支配し隷従させ、迫害さえすることがあるのは歴史と現実に見るとおりです。
(3)精神か物質か…
精神と物質、人間と自然の単純な二元論や対立観が、近現代の思想の根底であるように見えますが、筆者には精神は物質の延長であるようにしか思えず、人間は自然の発達のひとつであるようにしか思えません。
物質の貧しさは精神の貧しさを招きやすい…資本主義は確かに圧倒的な物質の豊かさをもたらしたとは思いますが、同時に精神の豊かさをもたらしたわけではない…いまだに戦争や貧富の問題さえ克服できない「豊かさ」とはいったい何ものか?
3.制度か個人か…