20230601 記
1.「考えることは悩むこと、書くことは苦しむこと」だと、作家の太宰治は言いました。また「君にはまだ悩みも苦しも足りない」のだと、作家希望の若者に言ったそうです。やや自虐的な感じもありますが、筆者は太宰治の言葉に共感します。
2.言葉の作家だけでなく、絵画や彫刻の作家も、同じ悩みや苦しみを抱えているのだろうと思います。自分の中に悩んだ末のイメージがあって、それを自分の身を切り刻むような思いで、言葉や絵画や彫刻という形にして行く…。
3.ただし、太宰治は「苦しさは忍従の夜、諦めの朝」とも言ったので、自分を苦しめ過ぎないことも大事だと思います。「今さらどうしようもないことで自分を責める」手をどこかで止めておかないと、きっと精神不調に陥ってしまうでしょう。
4.筆者も若い部下を(偉そうに)指導していたころ、仕事ぶりを見ていて「この人にはまだまだ悩みも苦しみも足りないなあ」「もう少し悩み・苦しむほうが良いのではないか…」と思ったことがたびたびあります。
5.太宰治は「諦めの朝」と言いましたが、「成長」とは、悩んで苦しんだ末に、ある日ふっと朝を迎えるように感じるものなのではないか、そういう意味で「成長の朝」と言うほうが一般的で健康的なのかも知れません。
6.また、悩み苦しむことは「自分に強いる」ことではありえても、「他人に強いる」べきことではないと思います。「育成」の名のもとに、他人に悩みや苦しみを無理強いして、精神不調にまで追い込み・追い詰めるようなことは「禁じ手」だと思います。
筆者には文学の才は無いのですが、五-七-五の俳句は大好きですし、短い詩も好きです。つまり、溢れる思いを短い言葉で言い表すことが大好きです。
筆者の書く原稿が、原則として三行ずつの小段落(パラグラフ)で構成されていることはお気づきのとおりですが、これは視覚的に意味のまとまりを伝える手段です。
ところで最近では、この三行ずつの小段落(パラグラフ)を、さらに二行に短くしようとしています。無駄や重複を省き、より本質に近づくためにです。
こうして削りに削っていくと、最終的には文章全体が二行になり、タイトルとキャプションだけになるかも知れません。
そうして、生涯かけて書いたいくつもの文書が、たったひと言に凝縮されるかも知れません。