1.「職場の中の困った人たち」⇒「職場の中で困っている人たち」
筆者自身が今までの多くの著作の中で、職場の中でうまく適応できない人たちを「職場の中の困った人たち」と呼んでしまっており、「そこを何とかする」という「人事マネジメント」の対象として見てしまっていました。
しかし、今さらながら気付いた当たり前のことのひとつは、「職場の中の困った人たち」の問題は、「職場の中で困っている人たち」の問題として捉え直さない限り「解けない」のではないかということです。
たとえば「コミュニケーションがうまく取れない人たち」の問題は、「コミュニケーションがうまく取れずに困っている人たち」という本人の悩みや苦しみを、周囲が支えるというマネジメントが必要であり有効であると思うのです。
2.メンタルの問題も、発達障害の問題も…
筆者の顧問先で、職場のストレスに起因して精神疾患を発症し、労災認定を受けた事例がありましたが、本人の側に立ち、その「困りごと」を一緒に何とかしようという発想が職場にあれば、もっと違う結果になったはずです。
いわゆる「発達障害」とされる問題を抱えて、周囲と上手く協調できず、良好円満な人間関係を築けないで困っている人たち、悩み苦しんでいる人たちがいるのなら、そこを何とか支えるのが職場のマネジメントの役割でしょう。
「本人の自己認識」が不足し、周囲の「困りごと」が大きい、ということがあり、その際には「自己認識を促す」ことを筆者は「推奨」してしまっていましたが、それは実は「もっと本人を困らせろ」ということだったのかも知れません。
3.前から導くより、後ろから支える
困っている人は「どうすれば良いかわからない」で困っているのだろうと思います。自分自身が困っていてどうにもならないのだから、相手や周囲がどんなに困っているかまで思いを及ぼすのは無理でしょう。
職場の中の困った人たち=職場の中で困っている人たちの上や前からあれこれ指導することも必要でしょうが、それだけではなく、その人の後ろでその人と同じ状況や視点から、その人を支えるというスタンスが必要だと思います。
その人の背後から、その人と同じ状況や視点に立って、その人の思いや感じに周波数を合わせて、その人と同時に、その人ができるより良い思考や言動や態度の選択の幅を少しずつ広げていくことが必要でしょう。
<例:職場を困らせる(職場で困っている)未熟な人たち>
仕事をするということは、社会人として成長するということだと思います。幼児期から学童期を経て、自らの未熟性を克服しながら成長するはずなのですが、一緒に働く人たちの中にも未熟性を色濃く残したままの人が意外に多い…。
<例>
① 自分の気に入らなければ挨拶もしない?
② 自分がわからない・できない・困ったときは黙り込む?
③ 幼児的な自己中心癖に気付かない?
ア)相手の事情、感情、考えを尊重しない・できない、気付き・配慮がない
イ)相手や周囲と上手く協調できない。意思疎通・理解や協力を得にくい
ウ)ファクトとロジックに基づく合理的な言動や態度が選択できない
エ)自律性や自立性のなさ、一方で他責化や依存癖
自分自身の未熟性に早期に気付き、これを克服してきた人たちも多いのですから、「未熟性をかかえて困っている人たち」と同じ視点にたって、一緒に働く中で、自己認識を促し、自己成長支援すること以外に問題は解決しないでしょう。
<追記事項:「後ろから支える力」は「愛」なのかも知れない。>
「前から導く」力は「正義・論理・合理」でしょう。周囲から理解する力は惻隠の「情」でしょう。後ろから支える力は…中坊公平氏(前の日弁連会長)はそれを「恐怖」だと言ったそうですが、マザーテレサならそれを「愛」だと言うでしょう。