働く人たちの未熟性

 

 筆者自身の未熟性への反省と、一緒に仕事をする人たちへの期待を込めて…もちろん、未熟だからと言って、切り捨て、見捨てて良いという趣旨ではありません。未熟なら成熟に向けて意識付け、方向付け、動機付け、支援すれば良いだけです。

 

1.未熟性の特徴

 

①_自分が気に入らないと挨拶も返事も礼儀も無視するという未熟性…

 

 まるで家庭で母親が子供に言い聞かせ、教室で教師が生徒に言い聞かせるのと同じで、職

場においても上司が部下に言い聞かせ、当たり前の習慣にしなければならないことのひとつが「挨拶・返事・礼儀」です。

 

 どのような相手に対してでも(「目下の」相手や、「相争う」相手に対してでも)、どのような状況(「困難な」状況においてでも)相手に対する敬意(リスペクト)とそれに基づく「挨拶・返事・礼儀」を欠かしてはならないのだと思います。

 

②_自分の怒りや苛立ちの感情を上手くコントロールできないという未熟性…

 

 気に入らないこと、思い通りにならないことがあると挨拶も返事もしなくなるのは、気に入らないこと、思い通りにならないことがあると泣き叫んで母親をてこずらせる乳幼児の時代から、あまり成長がなかった人であるようにも見えます。

 

 また、怒りや苛立ちは誰の心にも生じる感情であって、それを自覚してどういう対応をするかが成長のひとつであるはずです。怒りや苛立ちにまかせて相手に対して不適切な言動や態度をとってはならないということは、人どうしでも国どうしでも同じです。

 

③_他者を顧みないという未熟性…

 

 他者の感情や考え、都合や事情、能力や理解や他者にとっての価値よりも、自分のそれらを優先してしまう。気付きも思慮も配慮もない。学童期にいわゆる「優等生」として育った人ほど、「自己中心(他者軽視)」的傾向が強いのではないかと思います。

 

 マズローは人間の欲求段階を「自己生存-自己安全-自己尊厳…」と説きましたが、それほどにまで「自己」を「優先」していては、人間相互の「親和」も「成長」も「実現」も成り立たないでしょう。

 

 

④_自己中心的でありながら他者依存的であるという未熟性…

 

 他者に大きく依存しながら、他者に責任を転嫁したり他者をあれこれ批判するのは得意…というのも未熟性のひとつでしょうか…。まるでわがままで親を詰る内弁慶なこどものようですね…。組織や社会や国家に従属しながら組織や社会や国家に他責化する…。

 

 かつて「法を守っていて経営ができるか?」と豪語するブラック企業のワンマンオーナーがいました。まるで公共の道路に吸い殻やつばを吐き捨てながら平然と我が道を行くようなモデルですね…。

 

<追記事項_「待てない」「聴けない」「譲れない」…という未熟性…>

 

 上記の事例のひとつかも知れませんが、いい大人どうしがちょっとしたことでトラブルになる原因の多くは、そのどちらか一方または双方が、ほんのちょっと「待つ」「聴く」「譲る」ことをしないからだろうと思います。

 

 おなかを空かした乳児がミルクを欲しがって「待つ」ことも「聴く」ことも「譲る」こともできないのと、働く大人どうしが会議の場で相手の発言を待てず、聴かず、譲ることもできず、相手の発言を遮ってまで自分の発言を優先したがるのと同じです。

 

2.仕事のしかたへの「未熟性」のあらわれ

  

(例1)自分の感情や思いや都合を最優先し、相手や周囲がどう感じるか、どう思うか、どう反応するかに想像が及ばない。相手や周囲のためにどうすれば良いかに思い及ばない。

 

(例2)相手や周囲の配慮や好意に気付かず、素直に感謝できない。あくまで自分が正しく、相手や周囲の意見を受け入れず、自分の非を認めず、素直に訂正・謝罪できない。

 

(例3)相手が仕事をしやすいように、ひと手間惜しまず、自分の仕事をしておく、という発想も習慣も無い。自分が約束したルールや期限さえ、自分の都合で守れない。

 

(例4)出来ない言い訳はするが出来るように努力や工夫をしない。自分以外のせいにはできるが、自責化できない。(または極端・不合理に自責化しすぎる。)

 

(例5)ものごとを事実に基づいて論理で考え、言い、書き、伝えることができない。自分以外のせいにする。

 

(例6)何もかも自分でやらないと気が済まない。人を通じて仕事をすることができない。できないのは人のせい、部下のせいにして、攻撃(ハラスメント)さえする。

 

3.未熟性を超えるために…

 

 上記のような未熟性を超えて行くことが、すなわち、成長するということだと思います。母親が子供の手を引いて、教師が生徒を導いて、そこ(その瞬間・その場面・その状況)を共通し、そこに相応しい配慮や言動や態度をともに選び取って行くことです。

 

 社会人・職業人を相手に、そんなレベルのことを、いまさらしなければならないのは、いささか残念ではありますが、手前の問題を解決しなければ、その先の問題は解決できないので、職場のマネジメントも、相手の成熟度に応じて行わざるを得ません。

 

 職場における上司が、家庭における母親や教室における教師のように、そこ(その瞬間・その場面・その状況)を部下と共有し、カウンセリングとコーチングのマインドとスキルを持って、そこに相応しい配慮や言動や態度をともに選び取り続けることだと思います。

 

 その瞬間、その場面で、一緒に観て、感じて、思って、考えて、選んで、言動する。ひとりでできるようになるまで、何度か一緒にやってみる。自分ひとりで出来る、ことではじめて、分かる、ことになると思います。(自分で出来るまでは放任しない。)

 

参考 「同行二人」

https://tokyo-cbt-center.com/archives/1872