20210507_ノーレスポンスは「闇」だ

 

 ノーレスポンスは相手に「迷惑メールだ」と言うに等しく、「忙しい」という言い訳は、相手に対して「優先順が低い」と言うに等しい。やはりノーレスポンスはお互いをつつむ「闇」であり、「忙しさ」はお互いを隔てる「壁」だと思う。

 

1.やっぱり「ノーレスポンス」は「闇」だと思う。

 

 「おはようございます。」と言われて「無言」や「無視」で返す人は殆どいないはずですし、「有難うございます。」と言われて「無言」や「無視」で返す人も殆どいないはずです。(いまどき、職場の上司がそんなことをしたら「パワハラ」を疑われます。)

 

 なのに、知人や関係者からの問い合せや依頼ごとの電子メールに「ノーレスポンス」(つまり「無言」や「無視」)で返す人が多い、実に多いのが「現実」です。(それじゃまるで「迷惑メール」と一緒じゃないですか…。)

 

 筆者にとっては「ノーレスポンス」は「闇」以外の何ものでもなく、自分の何がいけなかったのか、相手に何が起きてしまったのか、つらい妄想をしてしまいます。不安や不信や疑心が生じてしまい、少なくともその後のコミュニケーションは絶たれます。

 

2.やっぱり「忙しさ」は「壁」だと思う。

 

 しかし実際には、「ノーレスポンス」の原因の多くは、何ら「悪気(わるぎ)のない」、単なる「忙しさ」だろうとは思います。しかし、それは、「ごめんね」の「ひと言」も発することが出来ないほどの「忙しさ」なのでしょうか?

 

 またその「忙しさ」は、相手に「転嫁」すべき「忙しさ」なのでしょうか。単に、自分の能力や能率、自分の努力や工夫、普段の研究や勉強、早期の着手や計画、周囲の理解や協力が「至らない」だけではないですか?

 

 相手に「ノーレスポンス」で返すのは「あなたは迷惑だ」と言うに等しく、相手に「忙しいから」と言うことは、「あなたの優先順位は低い」と言うに等しい、と、筆者は思うのですがいかがでしょうか? 

 

3_「ノーレスポンスの闇」と「忙しさの壁」を突き破る。

 

 「仕事が出来る人」とは概ね「ノーレスポンスの闇と忙しさの壁を自ら突き破ることができる人」であり、「仕事が出来ない人」とは概ね「ノーレスポンスの闇と忙しさの壁を自ら突き破ることができない人」でもあると思います。

 

 「ノーレスポンスの闇と忙しさの壁を自ら突き破る」ためには、例えば次のようなごく日常的な「仕事のしかた」を「習慣化(あたり前化)」することでは無いでしょうか?

 

 ① クイックレスポンスを習慣化する。

 

  例えばメールでの問合せや依頼に対して「24時間以内に回答する」ことを自らに課し

  て習慣化すること。(筆者がそう言ったら「土日は除いて?」という質問をした人がい

  ましたが「何をか謂わんや」です。)

 

 ② 早い方に自分のタイミングを合わせる。

 

  学生時代の「一夜漬け」習慣が抜けず、期限や納期のぎりぎりになってからしか対応し

  ないことが習慣になっているような人がいまだに多くいますが、何度か土日を使ってバ

  ックログを片付けてタイミングを早い方に合わせ直してはいかがでしょうか?

 

 ③ 常に備える。

 

  大工さんや漁師さんが時間さえあれば自分の仕事道具の手入れをするのと同じように、

  常にビジネスに使えそうな知識や情報を仕入れておいて、いつなんどき問合せや依頼が

  あっても即応できるようにスタンバイしておくこと。

 

 ④ 言い訳をしない。

 

  新型コロナ禍が来襲して2年も経つのにいまだに自分の仕事ができない、自分の仕事が

  遅いことの言い訳を新型コロナのせいにしている人がいます。新型コロナのせいにする

  人は新型コロナがあってもなくても仕事が遅く・仕事が出来ない人です。

 

 ⑤ ~してから、ではなく、~のためにする。

 

  自分が掲げた目標は自分が達成する。自分が立てた計画は自分が実行する。自分が交わ

  した約束は自分が履行する。都合や情勢や具合が悪くなっても黙り込み・抱え込む(=

  ノーレスポンス)ことをせず、「忙しい」と言い訳してその壁の向こうに隠れない。

 

<追記事項_20210602>

 

 「愛は言葉だ。言葉が無くなりゃ、この世から愛だって無くなるんだ。」というのは、筆

 者の好きな太宰治の言葉です。ノーレスポンスの闇の中、忙しさの壁の向こうに、「愛」

 はあるのでしょうか?

 

 「ノーレスポンスの闇」の中や、「忙しさの壁」の向こうで、人が苦しみ、悩んでいるか

 もしれない、だからその闇や壁に閉ざされたままでは、例えばいかなる人事マネジメント

 でもまるで「手が出ない」のです。(ときどきは「微弱波」が受信できるかも…?)

 

 「もう一度、ここが痛いと言うておみ(言ってごらん)」というのは、正岡子規を看病し

 た母親の、おそらくは子規以上の名句だと、筆者は思います。いかなる悩みも苦しみも、

 声を挙げないと伝わらない。困ったときは声を出してほしい…。