1.其れ、恕か
孔子が第一の高弟に「人間にとって、それをなくしては人間でなくなるほど大切なことは何ですか?」と問われて、「其れ恕か」(「恕(じょ)」=簡単に言えば人間的な「思いやり」)と答えたそうです。
子貢問ひて曰く、 「一言(いちげん)にして以て 終身之を行ふ可き者有りや」 子曰く、 「其れ恕か、己の欲せざる所は、人に施すこと勿 れ」(論語)。「恕」とは要するに「思いやり」だというのが一般的な解釈です。
「恕」という言葉は、「宥恕」や「寛恕」ということ、つまり正否や理非だけではない、もっと深く広い豊かな人間的な言動や態度の選択、およびそのもととなる考え方や処し方や人間性を言っているのだろうと思います。
2.人間相互の尊厳と親和(リスペクト)
人間相互の関係をより良く保つ上で「終身之を行ふ可き」ところは何でしょうか。筆者なら「相互の尊厳と親和(リスペクト)」と答えます。マズローのいう「尊厳」および「親和」という言葉に「相互の」を冠したものです。
人間にとって「それ無しには存立できない」ほど重要なことはマズローの言う通り「生存・安全・親和・尊厳・実現」だとしても、それらは「自己」単独ではなく「相互」でしか成り立たない(「己所不欲、勿施於人」)はずです。
「人間関係が上手く行かない」という悩み事や困り事は、多くの人たちに共通する事項でしょうが、筆者自身は「相手への尊厳、相手との親和」を基本方針にして、自分の対人的な言動や態度を選択したいと思います。
<追記事項_見ざる聞かざる言わざる>
「見ざる言わざる聞かざる」というと日光東照宮の有名な彫刻を思い浮かべるのですが、この言葉のもともとの意味は一般的な理解とは少し違うようです(筆者は次のように勝手に解釈しています)。
つまり、どんな仕事でも「自分ひとりだけで上手く行く」ような仕事はほとんど無く、「人の理解と協力を得てこそ上手く行く」と考えれば、少なくとも次のような「心がけ」は必要だろうと、筆者は思うのです。
・人の短所を見ざる。
人にはそれぞれ、他の人に見せたくない欠点も短所もあるのだから、それをわざわざ見つけ出して論う必要もない。本人が気付いている場合はなおさら、気付いていない場合でも気付いてくれるまで、見て見ぬふりをするのが良い。
・人の無知を言わず。
人にはそれぞれ、知っていることや知らないことがあって当然です。興味も関心も違うのですから。人がそれを知らないからと言って、そのことをことさら言う必要はない。お互いいに、共に知るところになれば良いのです。
・人の誹りを聞かず。
人にはそれぞれ、事情も都合もあるし、感じも思いもある。人を悪く言おうとすればきりがないのです。円満な人間関係を築こうとするなら「悪く思わず、悪く言わず」が第一だと思います。
<敢えて付け加えるなら…>
・人の思いを拒まず。
人にはそれぞれ、見えている事実があり、それぞれの価値観もあり、考えがある。それを「否定」してかかってはどんな話も続かない。「共有」が難しくても「共存」(お互いに認知し、尊重し合う。)はできるはず。
・人の愛するところを愛する。
その人を愛されようと思うなら、その人を愛することは勿論、その人が愛するところ(その人が愛すること、その人が愛するもの、その人が愛するもの)を、その人が愛するのと同じように愛することだと思います。
・人の気付かざるを責めず。
同じことでも違いを感じる人と感じない人がいます。いわゆる「繊細な人」は、相手と自分の感覚の微細な違いにいら立つことも多いでしょう。「どうして気付いてくれないのか」と相手を責めても、自分を苦しめるだけ…。