20260203 追記
同じ事態に直面したときに、どのような対応をするか、つまりその事態をどのように捉え、感じ、考えて、そうした事態への対応として、どのような言動や態度を選択するかは、その人の感性や能力や思考などによってさまざまに異なると思います。
ただし、そうした選択が、できれば、合理的で論理的であってほしい。冷静で、思慮や配慮に富む選択であって欲しい。裁判用語でいうなら「客観的に合理的な」言動や態度を
選択して欲しいと思います。
好ましい選択をすれば、相手や周囲からにも好ましい影響があり、好ましい反応があるでしょうし、そうでなければ好ましくない影響があり、好ましい反応があるでしょう。そのことを予め客観的・合理的・論理的に考えた上での選択であってほしいのです。
例)そんなことをそんなふうに言っても・しても、誰も喜ばないし、何も良くならないでしょう?
20211205 記
人間は「ものごと」に接して、それぞれにさまざまな「感じ」や「思い」を抱くのだと思いますし、そうした「感じ」や「思い」に基づく「言動」や「態度」をさまざまに「選びとる」のだろうと思います。
筆者が常々思うことは、そうした「感じ」や「思い」と、それに基づく「言動」や「態度」との間には、一定の「合理性」や「思考回路」があるほうが良いだろう、というごく当たり前のことです。
「合理性」というのは、「論理性」と「情理性」です。その行動や態度の選択が、人間的な「理」と「情」にかなっているかどうかです。「ものごと」に対する「言動」や「態度」の選択が、「理」と「情」にかなっているか…
「思考回路」とは、そうした言動や態度が原因となってもたらす相手や周囲への影響や変化を予め想定し、配慮する「理」と「情」の思考プロセスが「感じや思い」と「言動や態度」の間にあるどうかです。