20211205記
人間は「ものごと」に接して、それぞれにさまざまな「感じ」や「思い」を抱くのだと思いますし、そうした「感じ」や「思い」に基づく「言動」や「態度」をさまざまに「選びとる」のだろうと思います。
筆者が常々思うことは、そうした「感じ」や「思い」と、それに基づく「言動」や「態度」との間には、一定の「合理性」や「思考回路」があるほうが良いだろう、というごく当たり前のことです。
「合理性」というのは、「論理性」と「情理性」です。その行動や態度の選択が、人間的な「理」と「情」にかなっているかどうかです。「ものごと」に対する「言動」や「態度」の選択が、「理」と「情」にかなっているか…
「思考回路」とは、そうした言動や態度が原因となってもたらす相手や周囲への影響や変化を予め想定し、配慮する「理」と「情」の思考プロセスが「感じや思い」と「言動や態度」の間にあるどうかです。