「人事マネジメントの理論」の殆どは「動機付けの理論」です。人事マネジメントのテキストに必ずと言っていいほど登場するマズローをはじめ、ハーズバークやマグレガー、ドラッカー等の理論をおさえておくことはたいへん有用です。
(1)人を動機付けるもの…
① 人は何に動機付けられるのか。おそらくは「悪よりは善」「苦よりは楽」「貧よりは豊」「劣よりは優」「賎よりは貴」…時代や人や状況や立場によってさまざまな動機付け要因が複雑に織り重なっているのでしょう。
② 総じて言えば人は人にとって「より良い」ものや状態に向けて動機付けられているし、「今日も一日良い日だった」とか「明日を今日より良い日にしよう」という願いや意思が即ち動機付け(モチベーション)なのでしょう。
③ しかし人にとって「より良い」ものや状態は、単にそれを「願うこと」によってではなく、そのために「働くこと」によってもたらさるのでしょう。では「働くこと」自体は「手段」なのか、それともそれ自体が動機付けの要因か…
(2)マズローの「欲求五段階説」に沿って「人の欲求が人を動機付ける」と考えてみる。
①「生存」や「安定」の欲求の実現が「働くこと」の根源的動機付けである。
人事マネジメントのテキストに頻繁に紹介される「マズローの欲求五段階説」(津田眞澂氏(「人事労務管理の思想」、有斐閣新書)によれば「健全な人間は自己実現に向けた成長の欲求に動機付けられている」はずです。
「仕事をすること」への動機付け ⇒ ⑤自己実現に向けた成長の欲求
④自尊の欲求
③親和の欲求
②安定の欲求
①生存の欲求
現実には多くの人にとって、仕事を通じて「生存・安定」を維持するのがやっとなのかも知れません。「働くこと」が人にとって「労務に服して賃金を得る」という意味に留まっている限り、それはその通りですがそれで良いのですか?
②「親和」や「自尊」の欲求の実現も「働くこと」の重要な動機付けである。
働くことを通じて「親和(周囲の人たちとの調和や親和を求める)」の欲求を満たすということも、他の欲求に比較して決して「高位」の欲求でも「低位」の欲求でもなく、多くの働く人たちの動機や意欲の要因になっているはずです。
「自尊」の欲求も同様に、実際に多くの働く人たちの動機や意欲の促進要因になっており、「自己有能感」「自己優越感」「自己有効感」は、企業にとっての競争や成長や成果の原動力なのかも知れません。
働くことの動機や意欲の要因は、人や時代や人の社会的な立場によってさまざまに異なりますが、それが「生存」や「安定」の欲求さえ満たさないなら存立基盤を欠き、「親和」や「自尊」の欲求を損なうようでも成り立たないでしょう。
③「自己実現に向けた成長の欲求」の実現が働く人たちを動機付ける。
マズローは「健全な人間は自己実現に向けた成長の欲求に動機付けられている」と言いましたが、実際には多くの人たちが日々の暮らしや目の前の仕事に追われて、「自己実現」を日々実感できる人はごくわずかなのかも知れません。
しかし、ごくわずかながらも現実には確実に「自己実現に向けた成長の欲求に動機付けられている」人たちは存在し、それがおそらく人を「働くこと」への動機付ける、最も健全で人間的な意味なのだろうと思います。
しかし繰り返しますが、「生存・安定・親和・自尊・実現」のいずれも、「高位-低位」の関係ではなく、前者が後者の「前提条件」であり「必要条件」であり、いずれも「働くこと」にとって等しく重要な意味付けであると思います。
<追記事項>「人間的・社会的な価値の実現や自己成長」が働く人たちを動機付ける。
マズローの「生存・安定・親和・自尊・実現」という言葉には、いずも「自己」という言葉が冠されていますが、そもそも人間にとって「生存・安定」でさえ、「親和・尊厳」ではなおさら「自己」単独で成り立つはずがありません。
人間は「社会的存在」なのであって、マズローの言う「自己」は、「社会的存在としての人間諸個人」という意味であり、マズローの欲求5段階は、「相互の生存・安定・親和・尊厳・実現」と言い換えたほうが良いように思います。
本来、人間にとって働くこととは、「組織的・社会的協働を通じて人間的・社会的な目的を達成し、価値を実現すること」であり、同時にそれを通じて「人間や組織や社会が成長し自己実現すること」であるはずなのです。
(3)ハーズバーグの説に沿って「衛生要因」の改善と、「動機付け要因」の強化が働く人たちを動機付けると考えてみる。
下記は、仕事上の諸要因が満足または不満足の要因となることを示したものです。すなわち、①から⑤の「動機付け要因」は不満の要因になることは少ないが、満足の要因になることが多いことを示しています。
また、⑥から⑩の「衛生要因」は不満の要因になることが多く、満足の要因にはなりにくいことを示しています。(「人事労務管理の思想」津田眞澂著、有斐閣新書、ハーズバーグの章)
動機付け要因(満足の要因になる頻度が高い順)
①達成
②承認
③仕事そのもの
④責任
⑤昇進
衛生要因(不満の要因になる頻度が高い順)
⑥会社の政策と運営
⑦監督技術
⑧給与
⑨対人関係
⑩作業条件
働く人々の不満は概ね、給与等の処遇、仕事の負荷や環境、仕事上の人間関係等の「衛生要因」に集約され、働く人々の満足は概ね、仕事の意義や達成感仕事そのもの、仕事を通じた成長等の「動機付け要因」に集約されるようです。
人は不満要因があると、①他責化、②逃避、③攻撃、などのネガティブな反応を起こしがちですが、それで終わらせず、ひとつずつ根気よく誠実に確実に改善し続けることが必要です。(少なくとも「良くなっている」という確信が必要)
そのようにして「衛生(不満)」要因を、少なくとも意欲を阻害しない程度に無害化する一方で、「動機付け(意欲)」要因を強化する努力や工夫や制度(MBOや評価制度もそのひとつ)が人と組織の動機付けに繋がります。
<追記事項>「働きやすさ」と「働きがい」の追求
「衛生要因」を「働きやすさ」と言い換え、動機付け要因を「働きがい」と言い換えても良いでしょう。働く人たちにとって「働きやすい」職場と「働きがいのある」仕事こそが、「働くこと」そのものへの動機付けの条件です。
<追記事項>動機づけ要因の男女差に注目する。
①「仕事をする上で何が一番大切だと思うか?」と、女性の看護職で占められた新人研修で問いかけたところ、「相手への思いやり」という意見が一番でした。続いて「職場の人間関係」や「ワークライフバランス」が多数を占めました。
② マズローの「欲求五段階説」に倣ってごく簡単に言えば、働く男性が「達成・成長・自尊」により強く動機付けられるのに対して、働く女性は「調和・親和・安定」により強く動機付けられているのかも知れません。
③ マズローは 「達成・成長・自尊」を上位、「調和・親和・安定」を下位に位置付けましたが、働く人たちの動機付け要因としてはお互いに前提や条件となることはあっても、上位や下位となることはないように思います。
④ 「働きやすさ」と「働きがい」についても、働く人たちを動機づける要因だとは思いますが、おそらくそこには大きな男女差があり、女性はより「働きやすさ」を求め、男性はより「働きがい」を求める傾向が強いように思います。
⑤ 両者の関係は上位-下位、優先-劣後の関係ではなく、車の両輪のような関係です。後述の「MBOによる動機付け」や「小さな進捗への支援による動機付け」も男女差のある動機付け要因であり、ともに重要な動機付け要因です。
<追記事項>成長段階に応じた動機付けがある。
筆者が提唱する「組織協働的に仕事をする人たちの成長段階」は下記のとおりです。
第一)個別具体的な指示に基づいて正確・迅速・丁寧に業務を遂行する。
第二)包括的な指示に基づいて判断力を発揮しながら業務を遂行する。
第三)方針的な指示基づいて指導力を発揮しながら業務を遂行する。
第四)小組織のマネジメント機能または相応の専門性を通じて事業貢献する。
第五)大組織のマネジメント機能または高度の専門性を通じて事業貢献する。
動機付け要因も、成長段階に応じた変容(成長・発展)があって当然です。
第一)個別具体的な指示や評価
第二)包括的な指示や評価
第三)方針的な指示や評価
第四)小組織マネジメント機能または相応の専門性を通じた事業貢献度
第五)大組織マネジメント機能または高度の専門性を通じた事業貢献度
(4)X理論/Y理論で動機付けられる人もいる。
① X理論で動機付けられる人たち
マグレガー(米国の心理学者・経営学者)は「伝統的な人間行動制御理論」を「X理論」と名付けて、それを次のように要約しています。(以下、「人事労務管理の思想」、津田眞澂著、有斐閣新書より引用・要約)
・生まれながら仕事が嫌いで、できれば仕事をやりたくないと思っている。
・強制、命令や処罰の脅迫がないと、十分な力を発揮しない。
・命令される方が好きで、責任を回避したがり、何より安全第一を望む。
筆者が知る範囲でも、管理職の中にさえ、例えば次のような人たちが目につきます。
1)仕事をしないことに動機付けられる人たち
「できるだけ(難しい・面倒な)仕事をせずに済まそう」とする人と、「できるだけ(何とか工夫・努力して)良く(良い)仕事をしよう」とする人とでは仕事の意義も成果も百八十度違います。
2)目標を持てない人たち
MBO(通常「目標管理」と訳されている)を単なる「ノルマ主義」としてしか理解も運用のできない組織や人が多いのが現実です。自分の仕事や自分自身について「こうしたい」とか「こうありたい」を見失うのでしょう。
3)学習しない・繰り返す・元に戻る人たち
今まで手慣れた自分のやり方が固く習慣化してしまい、より合理的・標準的・効率的なやり方を容易に受け入れず、指導者がいなくなった途端に「元に戻る(元のやり方に戻す)」人も多いものです。
4)協力を惜しむ人たち
「組織的な協働」が当たり前であるはずの企業においても、実際には「快く協力する人」よりも「協力を惜しむ人」のほうが多く、これらの人々から「理解と協力」を引き出すのが最大の苦労のひとつです。
5)言われなければしない人たち
総じて言えば「X理論に規定される人」とは、「言われなければ学びも考えも気付きも行ないもしない人」のことです。では「言われれば出来るのか」というと、実際には「結局出来ない」ことが多いのが現実です。
上記のような人をどうやって動機付け、組織的協働の中で上手く機能させるかということも人事マネジメントのポイントです。本来は次項のY理論で動機付けたいところですが、人の行動原理を転換することは容易ではありません。
実務的な対応としては、仕事のINPUT-PROCESS-OUTPUTを明確にし、個別具体的で明確なINPUTからその都度OUTPUTを引き出すことを反復継続すること、勤務の規律や仕事の態度が乱れないようにすることなどが必要です。
② Y理論で動機付けられる人たち
マグレガーはマズローの理論を援用して、従業員のより高次の欲求の充足ということを原動力においた人事管理の理論に立つべきことを主張し、これを「Y理論」と名付け、その骨子を次のように述べています。(前掲書より引用・要約)
・仕事で心身を使うのは人間の本性であり、生まれながらの仕事嫌いはいない。
・人間は自分が進んで設定した目標のためには、自分から進んで働くものだ。
・目標達成の動機付け要因(最大の報酬)は自己実現の欲求の満足である。
・人間は、条件次第では、責任や危険を回避せず、自ら進んで責任をとる。
・想像力を駆使し、手段を尽くし、創意工夫する能力は、大抵の人に備わる。
・現在の企業では、従業員の知的能力が、ほんの一部しか活用されていない。
こうした「Y理論に規定される人たち」とは、例えば次のような人たちのことです。
1)より良い(良く)仕事をしようとする人たち
単に「労務に服し、賃金を得る(生計を立てる)」のが全てではなく、「より良く生きる」ために「より良い(良く)仕事をしよう」としようと自らを動機付けることができる。
2)目的を達成し、価値を実現する人たち
必ずしも経済的・定量的・数値的なものに限らず、仕事を通じてどのような目的を達成し、価値を実現しようとしているのか、「こうしたい」と希求する状態に向けて自らを動機付けながら仕事をする。
3)成長する人たち
仕事を通じて成長するということは、技量の向上だけを言うのではなく、組織的な協働を通じた人間的・社会的成長です。「こうありたい」と希求する状態に向けて自らを動機付けながら仕事をする。
4)協働する人たち
「組織(企業)」とは、共通の目的の達成や価値の実現のために、人々が協働する関係や状態のことです。「仕事をする」ということは即ち「協働する」ということであるということを理解し・実践する。
5)自らをマネジメントする人たち
究極の管理は、自己管理であり無管理です。自ら決定し、自らを方向付け・動機付け、自らを成長させ、組織的・社会的協働を通じて、他責化せず、言い訳せず、諦めず、「解」をもたらす。
現実には多くの「仕事をすること」や「仕事をする人」が「X理論」に支配されているように見えますが、「それで良い」と思っている人は少ないはずであり、そこにこそ「Y理論」への転化の機会があるはずです。
職場のリーダーや管理職自身がY理論で発想し、言動することを基本に、メンバーや部下との日常的なCommunication = Orientation + Motivation + Educationを通じて職場全体がY理論で満たされるようにマネジメントして下さい。
(5)MBO(目標による自己管理)が働く人たちを動機付ける。
MBO(Management By Objectives and self control )という言葉は、わが国では「目標管理」と訳されてしまい、これに基づく「目標管理制度」が「ノルマ主義的運用」や「個人主義的運用」に陥ってしまっているのははなはだ残念です。
ドラッカーが言う「Objectives」という言葉を「目標」と訳したところに誤解や誤用の原因があり、それは、「動機付けの対象」であって、働く人たちが「こうしたい」「こうありたい」と思い願うところの状態を言うはずです。
⇒ 詳しくは「MBOで動機付ける」の稿参照