<追記事項_20210803>土光敏夫氏のことば
事前のシミュレーションを徹底して行うこと。よし、これなら必ずできると確信が持てるまで。そしてそのことを組織に示し、皆が同じ気持ちで必ずできる、何としてもやり切ろうという気持ちに持っていく。
1.湯川秀樹氏のことば
「過去を言うように未来を言う(言え)」というのは、日本人初のノーベル物理学賞受賞者である湯川秀樹氏が弟子の科学者たちに言った言葉だそうです。理論物理学とはまさにそうした科学なのだろうと推察します。
2.ビスマルクのことば
「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」…戦乱の時代の一国のリーダーたる者は、「歴史を言うように未来を言う」人でないと務まらないでしょう。チャーチル氏も「歴史に学び、歴史を創る」リーダーであったはずです。
3.「やって見なければ分からない」 では「計画」にはならない。
「人事」という仕事において、人の一生を左右してしまうほどのことを自らの経験に学んでいる場合ではないし、「計画」という仕事において、「やって見なければ分からない」のは、実は「計画」とは言わないのかも知れません。
<追稿_時空一体に観れば…>
… いささか「哲学的」ですが、時空一体に観れば観えないことや解けないことは「ない」と言ってもいいのではないか、と思うのです。(「悩んだときは、見上げてごらん、夜の星を…」です?。)
1.見の眼、観の眼(宮本武蔵)
物理的・客観的に、思いを入れずものごとを率直に正確に見る眼が必要であると同時に、それがいったいどういうもので何を意味し、どんな価値があるのかという評価や判断を持って観ることも大事だと思います。
2.寄れば悲劇、引けば喜劇(チャップリン)
「カメラを寄せて見れば悲劇だが、引いて観れば喜劇だ」という意味の言葉を言ったそうです。同じものごとでも見る人の視野や視点によって見え方が違い、些末なことに一喜一憂することもまた愛すべき人生だという意味でしょう。
3.愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ(ビスマルク)
自分だけの狭い時空のことだけでなく、歴史上の人たちの経験や訓えに学びなさいと言う意味でしょう。(ただし、都合よく解釈された歴史でなく、生の歴史に学びたい。)
<追記事項_20210809>
「歴史に学ぶ」とは…歴史的に観れば…つまり、当時の時間的・空間的・人間的・社会的・文化的…いろいろな、当時の制約的・限定的・部分的な全状況のもとで、行われた判断と選択が「誤りだった」と「後から言う」こと?
「あれはやむを得なかった」でなく「あれは誤りだった」…当時の全状況においてもなお当事者が「別の判断と選択をすべきであり、それが自分の立場においても十分に現実的に可能だった」と教えてくれるなら多いに「学び」たい…
4.時空一体に観れば…
筆者は少し哲学ぶって「広い宇宙を見上げるように、時空一体に観るならば、観えないものごとはないし、分からないものごとはないし、解けないものごとはない」と思っています。
①「時が解決する」ということは「本当」だから
どんな問題でも「やがては時が解決する」というのは、筆者自身の実感でもあります。どんなに争い合う相手でも、時が来れば赦せる。人に対して肯定的であればあるほど、その時がくるのは早いと思います。
②「宇宙」は時空一体だから(宇宙を観るようにものごとを観れば良いから)
我々の眼に映る宇宙は、必ずもその瞬間の状態ではない。そこには過去が見える。つまり時間と空間の両軸で我々は宇宙を見ている。ものごとを空間軸と時間軸で見れば解も観えるはずです。