20231004 追記
仕事をする上で最も大切なことのひとつは、その人が「相手への(相手からの)視点」をもっているかどうか、だと思います。日常的な何気ないやり取りの中から、その人がそういう視点を持っているかどうかは分かると思います。
20211215 追記
どんな仕事にも「相手」となる「人」がいます。対人的な仕事でも対物的な仕事でも「相手」が必ずいる。結局、仕事の価値は、そのにいる「相手」の身になってどこまで努力や工夫や配慮ができるかだと思います。
相手の「身になって」というのは、「身につまされて」という感覚だと思います。「自分や自分が大切な人が相手ならどう感じ、思い望むか…」です。人間関係においても「相手が大切にしていることを大切にする」ことが基本です…。
<以下原文>
基本的な仕事のしかたでいちばん大切なことのひとつは「いかに相手の視点でものごとを発想し、配慮し、工夫するか…」だと思います。通知や依頼や謝罪や報告や…文書ひとつ書くときにも、そこに「相手の視点」があるか無いかだと…
① あらゆる仕事には「相手」と「仲間」がいる
ほぼすべての仕事には「相手」があり「仲間」がいる。よほどの独創的天才であっても、その仕事には、ほぼ例外なく相手や仲間がいる。それを無視して(相手や仲間の視点からの発想をしないで)はほぼいかなる仕事も成り立たない。
② 要は相手の「ナラティブ」に立ち、お互いのナラティブに橋を架けあう
総じて相手の「ナラティブ」に立って…相手がなぜそのように感じ、そのように思い、そのように言い、そのように選ぶか…それを相手になり切ったかのように想像しながら仕事をすすめると、必ずいい結果(アウトカム)が…
③ コミュニケーションとイマジネーションによって…
相手を見て(観て)いるか、誠実健全な興味関心があるか、謙虚と尊重の問いかけ声がけ語り掛けがあるか、そこに対話が成立するか、想像や配慮があるか…そうしてやっとひとつでもふたつでも信頼があるか…
<追記事項_20211207>
「経営の神様」と言われた松下幸之助氏に「祈るような気持ちで人事を行う」という言葉があります。「特に本人にとってつらい人事を行うときは三日三晩その人のことを考える」という趣旨の言葉があります。
筆者も人事業務に何十年も携わってきて、この言葉を大切にしています。人事発令はもちろん、給与計算ひとつ行うときも、その人のことやその人の家族のことなどを思い浮かべながら、行き届いた、丁寧な仕事をしようと思います。
<追記事項_20210802>
④ 争いごとも「相手」次第…
パワハラも、結局は「相手次第」だと思います。日常的に、お互いにどんな関係性を築いてきたかです。「パワハラ問題など起こり得ない」関係も多くあり、「いつパワハラ問題が起きるか分からない」関係も多くあります。
⑤ 仕事の価値も「相手」次第…
当たり前すぎるとは思いますが、自分がどんなに「頑張って」も、肝心の「相手」の価値観に響かなければ意味がありません。「打てば響く」とは限りません。そこは普段のコミュニケーションとイマジネーションしかありません。
⑥ 結局コミュニケ―ションも「相手」次第
当たり前すぎるとは思いますが、同じ言動や態度がどういう意味や文脈で伝わるかも、要は「相手」次第だと思います。
・概ね同じ意味なら「相手」の言葉を使いましょう。
・概ね同じ考えなら「相手」の意見を採りましょう。
(「概ね」という言葉は、大切なキーワードです。)
<別稿>
相手の立場や視点でより多くのことに気付き、配慮し、これを尊重し、自分の手間を惜しまない人であればあるほど、自分や相手や仲間にとっても「良い仕事」ができるに違いないし、できればそういう人たちと一緒に仕事をしたい…。
1.相手の「理解」に気付き、これを形成すること
たとえば一方的にまくしたてるような説明や報告では、相手には分からないし、通じません。自分が言うことよりも、相手が理解することのほうに焦点を当て、「相手の脳裡に絵を描く」ような言い方をしないと伝わりません。
同じ意味なら平易で一般的な言葉、または相手の言葉で言うこと。相手の理解に合わせて、相手と会話しながら言う。自分が言いたいことが相手の口から出てくるようでないと、相手に伝わったか、理解できたかどうかはわかりません。
2.相手の「感情」に気付き、これに共感すること
相手がどのような「感情」や「思い」を抱いているのか、肯定か否定か、理解か疑念か、信頼か不信か、受容か拒否か、安心か不安か、などなど、単に「事実」や「論理」だけでなく、相手の「感情」や「思い」にも配慮すべきです。
相手のさまざまな「感情」や「思い」は、「事実」や「論理」に複雑にからみつく糸のようなものです。先ずはこれに「共感」することが大切です。否定や排除は、相手の理解や協力の扉を閉ざしてしまいます。
3.相手の「事情」に気付き、これを支援すること
相手の状況におかまいなく、電話でいきなり自分の用件をまくしたてる人がときどきいますが、全く論外です。(まるで相手が受付か苦情の、自分専門の執事でもあるかのように…。)
相手には自分からは見えない様々な「事情」や「状況」があります。分かっていてもできない、やむにやまれぬ事情や状況が。そのことへの気付きと気配りと支援が無ければ、相手は早々に心のシャッターを閉ざしてしまうでしょう。
人はなぜ相手の手間を惜しまず、自分の手間を惜しむのか。ほんの少しだけでも「自分の手間を惜しまない」ことが、どれだけ多くの「相手の手間を惜しむ」ことになることか…
1.自らの手間を惜しまず、相手の手間を惜しむべし
単なる届け出や手続きのような仕事にも、相手があってこそ、なのですから、自分の手間を惜しんでいい加減なことをすると、その分またはそれ以上に相手の手間を増やしてしまい、結局はその仕事を成り立ちにくくしてしまいます。
人間には「自分の手間を惜しむ」本性があり、それが効率化や機械化につながるのかも知れませんが、そこに同時に「相手の手間を惜しむ」という観点がないと、単なる「負担や責任の転嫁」になってしまいます。
2.相手への想像_Imaginationと配慮_Considerationを惜しまず。
ものごとの「分かり易さ/難さ」や「使いやすさ/難さ」の差は、そこに、相手への想像や配慮があるか否か、「自分の手間を惜しまず、相手の手間を惜しみ、最後のぎりぎりの努力や工夫」があるかないかの差だろうと思います。
報告書や説明書、ちょっとしたメールひとつでさえ、書き手がいかに読み手への想像や配慮、自らの手間を尽くしているか・惜しんでいるかは、明らかに文体や文面に合わられてしまいます。
例_相手への「そのひと言」を惜しまない。
例_Give & Take ではない。Give & Give & Give and Take だろうと思う。
例_筆不精は多くを失う。