3_1 自分の手間を惜しまないでほしい
皆さんは心理学でいう「綱引き理論(もしくは集団的サボタージュ)」という理論は「1対1」の綱引きよりも「N対N」綱引きのほうが一人あたりの発揮能力は小さく、人は集団化するほど責任回避的になるという趣旨の理論です。
一般には「チームワーク(組織力)を発揮する」というような言葉で、あたかも「1対1」の綱引きよりも「N対N」の綱引のほうが、一人当たりの発揮能力が大きいかのように誤解していますが、実験心理学では逆の結果が出ています。
端的に言えば「誰かがやるだろう」「少しくらい大丈夫だろう」などと思って「手を抜かない」「サボらない」ことです。時間も約束も守らない人は論外です。理解も協力も示さない人も組織的協働にはなじみません。
3_2 他のメンバーの仕事がしやすくなるように仕事をしてほしい
組織的協働というのはメンバー間のアウトプットとインプットの連鎖としてイメージできると思いますが、「自分の仕事のアウトプットが他のメンバーの最適なインプットになるように仕事をすること」がメンバーシップのひとつです。
「他のメンバーの仕事がしやすくなるように仕事をする」ことです。報告・連絡・相談による事実関係と問題意識の共有化、仕事のプロセスとノウハウのマニュアル化などが「他のメンバーの仕事がしやすくなる仕事のしかた」です。
ONE for ALL, ALL for ONE というのは、ラグビーのようなチームで行うスポーツの理念のひとつですが、結局これは組織的協働の理念に通じ、広く一般的な人間的・社会的協働の理念に通じるものです。
3_3 組織協働的に仕事をしてほしい
ドラッカーは「組織」を以下のように定義しています。(「P.F.ドラッカー経営論集」ダイヤモンド社より)「組織」とは、何らかの目標の達成や、価値の実現のための、人と人との協働体であり、企業もその例外ではないはずです。
① 共通の目的と価値へのコミットメントを必要とし
② 組織とその成員が、必要と機会に応じ、成長し適応し、
③ あらゆる種類の仕事をこなす異なる技能と知識をもつ人たちから成り、
④ 成員は、自ら成し遂げるべきことを他の成員に受け入れてもらい、
⑤ 成果はつねに外部にあり、測定・評価・改善されなければならない。
「仕事が上手く行く」かどうかは、例外なく「組織的な理解や協力が得られる」かどうかに依存している、ということです。よほどの天才的独創家でないかぎり、このことは全ての「働く人たち」に共通するはずです。
3_4 リーダーシップよりメンバーシップを実践してほしい
世間では「リーダーシップ」や「マネジメント」に関する議論のほうが盛んだとは思いますが、筆者自身は、「リーダーシップ」や「マネジメント」以上に(以前に)、「メンバーシップ」のほうが大切だと思います。
具体的には下記の通りで、これらのことが企業や組織の構成員(エントリーレベルの構成員であれ、リーダーレベルの構成員であれ)にとって「当たり前」化し、「日常習慣」化していなければならないはずのことがらです。
1)仕事を進めるうえでより良くコミュニケーションするということ
2)仕事の相手や対象に対するイマジネーションを働かせるということ
3)自分の手間を惜しまずコ・オペレーションするということ
4)誠実・勤勉で思慮・配慮に富むこと
5)仕事を通じて職業人・社会人として成長するということ
6)目標をもって仕事をするということ
7)計画的に仕事を進めるということ
8)組織的に仕事をする(人と組織から理解と協力を引き出す)ということ
3_5 誠実かつ勤勉で、配慮に富む人であってほしい
我々が「仕事をする人々」に「こうあってほしい」と願うことは、同時にそのまま、我々自身が「仕事する人々」として相手や周囲から期待されることです。以下「仕事をする人々」に期待される誠実・勤勉・配慮について例示します。
① 誠実であること
嘘をつかない、誤魔化さない、いい加減なことをしない、時間や約束や規律を守る、人の期待や信頼や信用を損ねない、自分の都合や利益を優先させない、誤りや不備を素直に認めて改める、自分以外の存在に謙虚であること・・・
② 勤勉であること
自分自身の労や手間を惜しまない、「~のため」に力を尽くすことができる、自分の仕事に責任を持って途中で諦めず投げ出さず結果が出るまでやりきる、怠けないこと、自分を甘やかさないこと、自己学習や自己成長を怠らない…
③ 配慮に富むこと
仕事上の言動や態度に相手や周囲への気遣いがあること、相手の都合や事情を尊重できること、相手の感情を感知し尊重できること、自分の感情を制御し好転できること、仕事ぶりが親切で丁寧であること・・・
いずれもわれわれが「仕事をする人々」に期待し、また同時に期待される最も基本的・人格的態度のように思えますが、これらはなんら専門的な事項でも技術的な事項でもなく、本来取り立てて言うほどのことでもないはずです。